歴史が眠る、鶴来(つるぎ)船岡山縄文遺跡と青年の家 16

isikawanokinsan2006-12-16

昨晩、石川県白山市鶴来(つるぎ)船岡山にある“県立白山青年の家”の職員およびスタッフの、今年最後の情報交流会(活動の反省会)があり、私も思い切って参加した。(一泊)
正直いって、私みたいな年寄りは極めて少ない、ここで行われる小中学生の体験学習のお手伝いをしている現役の大学生や、それに近い人が中心、子供が大きくなった最近の私には、そんな若者と接する機会はまずない、勇気を振り絞ってあえて参加した。今の若者はどんな考え方をし行動するか、じかに触れ知るのが目的だった。
さすがにじっくり話すことは出来なかったが、元気もりもりの若者たちの、楽しい会話や行動に接することが出来た。
この白山青年の家のある船岡山は、どこから見てもをひっくり返したように見えるからそう呼ばれるとか、又京都の船岡山をまねたからとも(ここ鶴来の町には、京都にちなんだ地名が他にも多くある。)言われる。
小高い山(丘)にある白山青年の家のすぐ横には、縄文時代中期の遺跡を復元した竪穴式の住居(三棟)が目に入る。
朝早く、親切にして頂いた職員の人に昨晩のお礼を言って別れ、すぐにそこへ行ってみた。雪深いこんな地で昔の人はどうして暮らしていたのかと思いつつ、中を覗くと、中は暗いが意外に暖かい、真ん中に炉らしき跡があり、ここで昔の人は火を焚き、木の実などを食べていたのか、川もすぐ近い魚だってすぐ手に入る、なるほど住むにはいい所かも知れない。
白山青年の家のすぐ裏はうっそうとした杉林、ここには城(砦)跡がある。
この地はその昔(平安末期)この辺(北加賀)を支配していた武士団の棟梁“林六郎光明”が最初にこの地でを築いたらしい。その後加賀の一向一揆の拠点のひとつになるなど、いろいろ変わったが藩政時代は“お松の方”の甥である“高畠定吉が城主となったと聞いている。
いずれにしてもここは金沢の南を守る重要な拠点だったようだ。
一人薄暗い杉林の中の荒れた砦跡を歩いた。あちこちに当時を偲ぶ石垣が残るっている。しばらく進むと高台に急に展望が開ける所があり、そこからは、はるかに遠い白山から流れる川(手取川)に沿って点在するのどかな集落が望める。
すばらしい眺めだ、何かほっとする。さらに奥に進むと“白山の神の鎮座地”と書かれた石碑が目に付く、定かではないが、昔この辺りには白山を拝む遥拝所があったとも聞いた。
ここもそうだが、ともかく全国どこの地でも神社仏閣のあるところは、なぜか何とも言えない霊気を感じさせる。この船岡山には多くの歴史が埋もれており本格的な発掘調査の話も出ている。
下山途中、竹やぶの中の小路に壊れた“五輪塔”(昔の墓)の頭が、無造作に転がっていた。
夜はまたすぐ近くにある旅館で、“ふるさと歴史研究会”の例会と忘年会があり、再びこの地を訪れた。
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★一口メモ
船岡山と県立白青年の家:金沢の南、白山市鶴来本町商店街のすぐ近くの裏山(丘陵)は船岡山と呼ばれ、ここには縄文遺跡親鸞聖人に因んだ六角廟や幕末の勤皇の志士小川幸三、直子の墓地・砦(城)跡・白山神社の創建碑など多くの歴史を伝える跡があり、その中ほどに新装なった“白山青年の家”がある。
宿泊施設もあり、親子でのいろいろな体験教室やグループ、サークルでも気軽に利用できる、なんと言ってもメチャ安いのと、きれいなのが魅力である。(詳しくは施設へ直接確認)
付近には昆虫館獅子吼高原樹木公園,博物館、神社、寺院などもあり、大人も、子供も一日充分楽しめる
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★歳時記
年の瀬の、日の移り行く、雑木山(鈴木六林男)

船岡山から見た手取川の流れ(撮影:12月16日朝)

☆白山青年の家の横にある縄文遺跡(撮影:12月16日朝)