ブログを書くようになってからよく聞かれるようになった。兼六園はよく知ってるが“金沢城”ってあったの? 今日もそんなメールが友人から入っていた。
“城”と言えば日本には砦跡を含める数百は有ると思う。ヨーロッパの城は石で造られ古くからの“石の文化”がよく分かるが、日本は石垣の上に木造のお城。古くから日本に根づいた“木の文化”を象徴する巨大な建物だ。
“城”はと言えばやはり国宝で世界遺産の“姫路城”(別名白鷺城)が一番だろう。私は以前数ヶ月間だが、姫路に住んだことが有る。昔の巨大な城がそのまま残り、その美しさ、建築美は何度行ってもすばらしかった。特に夜桜に浮かぶ白鷺城は何とも表現出来ないすばらしさで今も目に焼きついている。
ところで城は“天守閣”が見せ場だが金沢城には天守閣おろか小天守などもない、
最近一部がほぼ昔どうりに復元され、ようやくお城らしくなって来たが、その以前は明治に入り堀などは埋められ日本陸軍の『歩兵第七連隊』)の兵舎として使われ、終戦後は“金沢大学”のキャンパスとして長く使われて来た。
そもそも古くは、室町時代に浄土真宗の拠点 加賀一向宗門徒により築かれた『金沢御堂』(尾山御坊)がこの地に造られ、織田方の柴田勝家がこれを落とし、甥の佐久間盛政が最初に金沢城主となった。その後、天正11年(今から420年前)能登の国から前田利家が金沢城へ入城し城主となり初めて本格的な城となり、以後明治維新まで代々加賀藩の居城となった。明治6年の『城郭廃城令』により新政府の所轄となった。しかしこの間たびたび天守閣などは落雷・火災にあい焼失し、重要文化財の石川門・三十間長屋などごく一部だけが今に残った。
しかし金沢城は他にないほど“巧みな積み方”の“石垣”が多く残され、その上に続く“土塀”(なまこ塀)がすばらしい、今金沢の町並み・霊峰白山と共に先ごろ世界遺産の国内候補として申請された。それほど石垣のきれいさと年代を追っての巧みなつくりは知ればすばらしいと言える。天守閣と比べれば、確かに地味かもしれないが、実際に歩いてみることだと思う。
兼六園下バス停より百間掘り(空堀)の橋を通り“石川門”に入る。まずは城内を見ることだ。門を出てすぐの事務所に“城と庭のボランティアガイド”の事務所があるここで案内を申し込んでもいい(原則予約だが当日でも空いていれば無料で案内してくれる。)
ひと通り城内の建物や石組み・日本三名園のひとつ“兼六園”を案内してもらったら、次は城の外を自分の足で金沢城の石垣に沿って(昔のお堀跡)ぐるっと一周歩いてみることだろう。
石垣の持つすばらしさと“土塀”が少しずつ伝わってくる。途中に尾山神社(前田利家公を祀る)・尾崎神社(大権現、徳川家康公を祀る)に寄るのも良いだろう。
私も何回も来ているが自分の足で実際に歩いてみてそれが分かった。多分地元の人も聞いてはいるが知らない人の方が多いと思う。
一般的に男性は城好きだと言われる。定年後私の友人で日本の城を次々訪ね歩いている人もいる。私自身も有名な城はかなり行ったが、城にはそれぞれの特長と多くの歴史が刻み込まれている。これを知るとさらに楽しい旅が出来ると思う。これからはただ行ってきただけの旅ではなく、何でも良い、何かを見つける事が出来た旅はきっといい思い出に残るだろう・・・・
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★くつろぎの広場
・いびきする、人だけ集め、寝さしたい
・用意した、歌があるのに、来ぬ指名
・顔出せと、言うから行けば、頭数
(万能川柳より)
★歳時記
・松風の、奥に寺ある、寒さかな (室生犀星)