私の戦後と 『不二家』 問題を考える。 45

isikawanokinsan2007-01-14

“昔話”をすると 『歳取った証拠』 と言われそうだが、今日は私の思い出として、あえて書くことにした。

私の昨年亡くなった母の実家(祖母の家)の叔父さんが突然亡くなり、昨晩はお通夜、今日はお葬式であった。特別な持病もなくその日まで元気だった叔父が、夜には帰らぬ人となったと言う。4〜5ヶ月前には私も話はしたし、あまりの突然さに改めて“人の世のはかなさ”を知った。『人生百年はただ夢幻の如し、まばたきするぐらい』と言われるが、改めて心よりご冥福を祈りたい


ところで私は終戦後5ヶ月位して、石川県(現かほく市)の某所に生まれた。
“太平洋戦争”が始まるまでは、能登半島七尾市和倉温泉の有るところ)で、大きな魚市場に勤務し、当時2男1女のごく一般的な平凡で幸せな生活を送っていたらしい。“戦争”が始まり父は満州(中国北部)に出征する事になり、港の有る七尾市が危険なので、すべての物を売り払い少しばかりのお金を持たせ、妻と子妻の実家の有る現かほく市へと疎開させた。
終戦が近くなった頃、父は前線から満州の病院へと移された。しばらくして父の居た部隊は、ソ連軍の突然の侵攻により全滅したと聞く。もしこの時父が死んでたなら私はこの世には生まれてなかったのだ。


父は何とかして日本に帰り、終戦を向かえ私が生まれた。
戦後の動乱期、私を含め4人の子供を抱え、持っていたお金は紙くず同然、そのうち弟も生まれ、当時の日本全体がそうであった様に食べるのが精一杯、子育てなんてものではなかったようだ。とにかく分家であり無一文になった無職の父は、ここで無理して家を建てた。これがさらに貧乏に拍車をかけ、まさに地獄同然の生活。当然私は祖母(おばあちゃん)の家に預かられ育てられた。父母は朝早くから夜遅くまで働いた。
は背中に子供背負い、もう一人を前に抱き、さらに一人の手を引っ張りそれで仕事に行った。 私の小さい時弟と写っている写真が有るが、上半身は“裸”で着ている半ズボンはサイズが合わず(多分お下がり) 何ともだらしない格好だ。
まるで少し前の難民の写真そっくり当時の日本は多かれ少なかれそんな時代を経験した。親に代わって兄は弟の面倒をみ、弟はほとんど兄のお下がり、私などは姉の下着も着せられた。そのことで当時学校の体重測定が、いやでいやでしょうがなかった記憶がある。学校の教科書も誰かが使った、落書きの有るものを使った。(答えが書いて有るときは助かったが。) それでも何とかまともに育った。ご飯などは、まともに食えないし、芋のつるや糸のひきかかった臭いのするご飯までも食べた。とにかく何でも食べ、飢えをしのいだ事がなつかしい。好き嫌いなどは行っておれない、“銀飯”(麦の混ざってない白米だけのご飯)をはじめて食べた時は小さいながらに、はっきり記憶としている。

 
それを思うと、今の時代はあまりに贅沢すぎる時代だ。しかし私自身も普段それをさほどありがたいとは思ってはいないのが不思議だ。私は今、家の修理をはじめなんでも自分でやる。(出来る)それは他ならぬ貧乏だった父が、家の手伝いをさせたからで有る。今思うとずいぶん叱られたが、亡くなった父から多くを学んだ。(ちなみにドイツでは家のリフォームなどが自分で出来る男が、もっとも女性にもてると聞くが、我が家は『オヤジ又何か始めたぞ』程度の単なる趣味としか評価されないのが、何ともくやしい!)


ところで今、ペコちゃん不二家の問題がクローズアップされ連日報道されている。
個人的な見解だが、報道で知る限り、企業倫理に欠けた『経営陣の姿勢』 は厳しく問われ当然である。それだけ今の社会は経営者は資質を問われるし、自からに厳しくならねばならないと思う。
その分、大企業の経営陣の所得は最近大幅UPし、一般サラリーマンとの“所得格差”が何だかんだと言われだしたではないか。
しかしこの問題、老舗の不二家そのものや、そこに働くほとんどの従業員には罪はないのではないか、この辺を一緒にして、性急なバッシングや不買運動などは何か冷静さを欠き考えさせられる。あまりに短絡的ではないかと思うが・・・・・(問題なのは経営者や一部の人で有るはず)

私は家でたまに 『もし日本に今何か起こり食料が無くなった時、この中で最後に残るのは俺かも知れない、』 と言っては息子や妻から『どうしょうもないオヤジ』 と多少軽蔑な目で見られ相手にしてもらえないことが有る。
現実、家では“賞味期限”“消費期限”が切れかかった物でも平気で食べるのは私か老犬だ。(何でも口にするのは犬と同じだ、といつも言われている。)
冷蔵庫もない時代どうしていたのだろうか、経験上同じ魚でも臭いや、状態でこれは食べてはいけない、これはまだ食べれるとなんとなく分かる。
今の日本は宴会やパーティー・コンビ二などまだまだ食べれるものが、どんどん無造作に捨てられる時代。この機会に食の安全性とチェック体制食の保存・再利用(リサイクル)についても、少し落ち着いて考えてみてはどうだろうかと思う。

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☆お正月も賑わう金沢近江町市場と終戦の時  (※写真一部朝日百科引用)