地震は忘れた頃にやってきた。 115

今日は朝から雨が降って少し気分の乗らない朝を向かえた。午前中近くの『おはぎ屋』行くと案の定、日曜日としては人が少ない。9時半を回った頃知人と話をしていると、突然ガラス戸がガタガタと音を立て始めた地震だ!”でも慌てることもないどうせしばらくの間だろうと思っていると。


続いてロッカーなどがガタガタと震えだし“古民家”が揺れ始めた。一瞬そのままの状態で、どうしたら良いか考えられなかった。ただ揺れるのをそのままの姿でその場で収まるのを待った。何も考えられなかった。揺れが増すに従い『これはかなり大きいぞ』と思っただけだった。


何しろ以前ブログにも書いたが、石川県は雪以外は殆ど自然災害のない所である。常日頃私はそれを県外の友人や知人に自慢している。事実、海と山の自然をたっぷり楽しめるところである。ましてや地震など奥能登はわずかだが過去あった程度で、それ以外はあまり地震は話題にもならない。


過去はTVなどで地震発生情報が他府県で起きテロップで流されると、『大変だなあー地震のおきやすい所の人は』とまるで他人事であった。今日も揺れが少し落ち着いた頃、いったいこの地震震源はどこなのだろうか、『もし太平洋側だとすれば、かなりの被害が出るぞ。』 まさか震源がこんなに近いとは思わず、とにかくTVかラジオを見ようとしたがすぐに見当たらず探してスイッチを入れた。何と震源能登半島らしい事が分かった。

※この間の文章削除しました。

一応、家に電話してみようとと思い、携帯電話をかけるがまるで掛からない
災害時には電話が役立たないことを知った。ラジオかTVしか役立たないのである。

※この間の文章削除しました。


報道によると神戸の大震災に匹敵する規模であったようだが、ここ北陸は人口密度が低く特に能登は家もまばらであり、おまけに昔から雪国の家は雪の重みに耐えるため丈夫に作られている。被害はかなり出ているようだが、まだ大都会と比べると人的被害も少ないのかも知れない。とにかく『備えあれば憂いなし』である。


突然の災害に遭遇すると人間一瞬どうしていいか分からないものであることを知った日であり、何とも疲れた日曜日でもあった。我が実家は口能登能登半島の入り口)にある事をすっかり忘れていて、またまた妻に叱られた。先ほどもわずかに余震を感じた。その内次第に収まるだろう我が家の地震も又・・・・・


※電話やメールで県外からたくさんの地震お見舞いや安否の問い合わせいただきありがとうございます。26日(月)の朝も余震が少しありますが大丈夫です。
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★歳時記

どうして昔話のお婆さんは悪者になるのか? 114

今日は夕方、家の近くにある図書館を久しぶりに覗いてみた。私は近頃『ふるさとの民話と祭り』について少しずつ調べているが、最近少し気がついた事がある。それは民話や昔話に出てくるお婆さんはどちらかと言うと、あまりいい役として語られてない。


意地悪婆さん、欲張り婆さん・嫁いびりの婆さんなどでいずれも罰があたる悪役が意外と多いのである。嫁と姑の関係においても昔から嫁が悪役として登場する事は少ない。昔からそうだがこの“嫁と姑”の関係は今でも随分あちらこちらで耳に入る。


勿論、姑は必ずしもお婆さんとは限らない、舅(しゅうと)もあるが、一般的に女性同士が圧倒的に多いようである。それは女性が家を預かり内ににいる時間が長いせいもあるだろう。最近は昔のように嫁も負けてはいないようで、逆に姑いびりもあると聞く。


爺さん、婆さんに限らず昔話に登場する悪役は、欲深く、怠け者、強欲、いじめ、残忍などの性格が多い。女性はこれに嫉妬が加わってくる。大体の物語のストーリーは似たところが多いものである。


一番多いのが、動物や鳥、あるいは困っている人を助けた善良なお爺さんがその見返りに、お金や宝物等を手にする福運に恵まれて幸せになる。それを耳にした隣の爺さんや婆さんが、それを真似ていい加減な事をしてそれらと同じいいに目に会おうとするが、途中で罰が当たり神仏の力で不幸な目にあってしまう。


話はきわめて単純だが、この中では宗教的な意味合いや道徳教育な面がかなり多い。昔は鳥などは神の使いであると言われるが、自然崇拝や禅の思想等も含まれる。今で言えば倫理観を教えようともしている。


先日ライブドア堀江被告ドラえもん)に実刑判決が下されたが。すごい才能がありながら『儲けのためなら何をしてもいい』 いわゆる何でもありの典型ともいえる。何はともあれ倫理観が強く問われたのである。 後の世でひょっとして昔の民話の台本として少しアレンジされ登場してくるかもしれない。 


悪役で登場してくるのか逆に“先進的な実業家”としてそれを阻止された悲劇のヒーローとして登場してくるかは分からない。いずれにしても昔話とはそんなものであり人々が裁いていくのである。詳しくは知らないが、今裁判官制度(専門家以外の一般の人が裁判官のひとりとなる制度)が検討されているが、昔から長い時間かけて民衆が裁いているケースがある。 話はすっかり脱線したが、意地悪婆さんを読んでてそうも思った・・・・。

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★歳時記

桜情報と忍び寄る春の気配の北陸路  113

isikawanokinsan2007-03-23

『暑さ寒さも彼岸まで』とは昔からよく言ったものである。20日過ぎ位からようやく春らしい感じの日が多くなった。今日も穏やかに晴れた北陸の空であった。


ようやく桜の木のにもピンクの花が少し咲き始め目立ちだした。私の家の庭先にも春の花々が並びだした。近くの畑のあぜにはふきのとうが顔を出している。朝も6時近くには明るくなるし、気づかないが春は確実に忍び寄っている。『もう雪は大丈夫だろう』と今週末には車の冬用タイヤの交換が盛んになるだろう。今日も金沢市内に向う時何件か目についた。私も早く換えなくては・・・・・


夕方ホームセンターの店先でも、小さな植木鉢に咲いていた色とりどりの春の花が目に付き、箱いっぱいに買い込むお客様の姿も目にした。いよいよ春である。梅もいいが桜の開花で日本には一気に春が来る。春は何となく心をうきうきさせられる。やがて新芽が出てくると人は郊外へとでる。特に雪国の春は一段と待ち遠しい


北陸各地に兼六園をはじめとして、たくさんの桜の名所がある。私の住む町にも白山比竎(ひめ)神社の近くに“古宮公園”や県の“樹木公園”等ががある。特に日本でも有数な“樹木公園”には約800種1万5千本の木が植えられ、その内桜だけでも150品種1500本もの木が植えられており、かなり珍しい桜を見ることが出来る。


桜の咲く頃には多くの家族連れや若い人も訪れる。私も昨年は何度も行ったが、桜と言えば最近は育てやすいソメイヨシノが圧倒的に多いが、ここではあらゆる品種があり、咲く時期がそれぞれ違うので寒桜の開花に始まりシーズンの早くから、遅くまで楽しむことが出来る。勉強にもなるので私も楽しみにしている。ちなみにここでは椿140種850本も植えられている。


園内は広く散策が楽しめ、公園の上には日本庭園や中腹には展示館などもある。一度気軽に春を感じる所としてお勧めしたい。(入場は無料、展示館のみ有料)


ついでに足を伸ばすのにはすぐ近くにある“獅子吼高原”に行くのもいい、ここはハングライダーやパラグライダーの基地としてよく知られるが、山の上からは日本海まで一望できすっかり気分爽快になるところでもある。(それぞれは又詳しく紹介します。)


★石川県樹木公園の桜情報のHP http://www.pref.ishikawa.jp/ringyo/about/park.htm


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★くつろぎの広場
・何もせぬ、あいつが一番、意見だし
・打ち合わせ、まとまる頃に、新意見
・改善案、持って行ったら、「君、担当」

                      (平成サラリーマン川柳より抜粋)
★歳時記
・竹林に、社日の雨の、音もなし  古谷実喜夫)




☆街中にも感じられる春の足音、桜の開花 (撮影:3月22日夕)

私の小さな悩みと決断する時 112

isikawanokinsan2007-03-22

今、全国の自治体では選挙が行われようとしている。今日は統一選挙の事ではなく、私的な取るに足らない事を書きます。


実は私は定年退職の少し前からいくつかの趣味の会に所属した。さらに退職してしばらくして、歴史や自然が好きであったので誘われるまま地元の観光ボランティアガイドの会に入った。NPO法人のこの会は石川県でも観光ボランティア団体としては指導的立場にある団体である。


初めての定例会に出席した時、『なんと年寄りが多い会なのかなあー』と思った。聞くと40名近い会員がおり、それぞれ地元で元教育関係に携わった人や名士や専門家もいる事が分かってきた。女性の人も3分の1はいる。


それから三ヶ月近くなった五月の総会近くに役員の若返りを図りたいとの事で『理事になってほしい』と頼まれた。当時60歳の私が“若手”と呼ばれるのはなんとも変な気がした。とにかく分からないままに理事になってしまった。


主に土日を中心に仕事の合間に、たまにガイドのをしたり事務局のお手伝いをしたり自分の都合に合わせ適当に遊び大いに楽しんでいた。白山神社表参道にある古民家を改装し事務所を構え、この会が委託運営している無料休憩所の中にあるお店も最初は心配したが順調に人が増えだし、イベントをはじめ地元の民芸品やお菓子などの販売も当初の予想を上回る成果が得られ、地元のマスコミにもたびたび紹介され事業としても順調に推移し出した。


数日前この会の事務局を務め運営の中心的な役割をしている人から、『折り入って久しぶりに呑みながらでも話しをしたいことがある。』と突然呼び出された。 『何の話かなあー』と思いながら夜近くの店に出かけた。


『この会は今年で結成5周年を向える。プライベートな問題もあるが、これを機に更なる発展のため運営体制の刷新を図りたい。ついては事務局長をやってくれないか。』 正直驚いた。私はこの会に入ってやっと一年で現在でも一番新しい言わば新入生である。おまけにアルバイト的とは言え小遣い銭稼ぎの仕事もおろそかには出来ない。


会の中身も分からないしあまりに突然なので返事は保留した。本音のことを言うと頼まれることはありがたいしうれしい事だが、定年を向かえせっかく楽しく自分の好きな事が出来る今が一番いいのである。 今さらあまりわずらわしい事はしたくないとも思った。


その内会長からも正式に要請があった。『事務局長選任は私の専決事項だから、すぐ引き受けてほしい』との事であったが、『考えさせてほしい。出来れば誰か他の人を探してほしいし、私は今のままが一番いいし楽しい。』と返事をした。片方で会の中身が知りたくて一部の人に会い話を聞いたり、内部的な動きなどの情報入手に務めた。今思えば結果的にこれがよくなかった。


たとえ土日が中心としてもこの会は“趣味の会”である。従って会社と違い指示命令系統がはっきりしてないから運営が大変なのである。しかも以前は引退したとは言えそれなりの地位のあった人も多いから余計に大変だ。それにNPO法人だから普通の趣味の会と違い経営面も考える必要がある。しかしいつの間にか私の思惑とは別に、周りに勝手に流れが出来始めて行く。


『まずいなあー』悩みつつも、いつまでもこの件を引き伸ばすのも良くないと思い、それで『もし仮に受けるにしても、私は一番入会が新しくから役員会や定例会で改めての承認を前提としたい。』と返事をした。一部で異論があるようだとちょっと耳に入っていたからである。


私とすれば『少しでも異論が出ればそれを理由に断ることが出来る。』と判断した。今日その役員会と定例会が開かれて。私の判断はみごと外れ、引き受けさせられる羽目になった。 やむ終えない!決断するしかないと思いこの会の事務局長を引き受けることにした。最近ブログを書くのが遅れるのは連日の会合が行われたからであった。


今思えば、最初に話があった時点ではっきり断るべきであった。私の判断ミスである。どの程度出来るかは知れないが、この会も事業範囲が広がり物販事業などうまくいけばいくほど新たな問題が発生しており大変なようだが、何とかまとめていきたいと思う。しょうがない乗りかかった船である。


今、各地のあらゆる分野で、このように年度末を向え役員の交代などが行われようとしている。役などを頼まれた時は、やるにしろやらないにしろ早い決断が必要であると思った。


★全国観光ボランティアガイドのHP http://www.nihon-kankou.or.jp/vg/index.html


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★くつろぎの広場
・そのかつら、自然ですねと、見破られ
・大吉に、調子に乗るなと、書いてある
・ぼけたふり、本気にされる、年になり

                 (万能川柳より抜粋)
★歳時記
・何迷ふ、彼岸の入り日、ひとだかり  (鬼 貫)

『白山の文化遺産』セミナーに参加して 111

isikawanokinsan2007-03-21

彼岸の中日、今日は朝から久しぶり快晴で春らしくとても気持ちのいい日であった。霊峰白山のすばらしい姿を拝む(見る)事が出来た。


それにしても昨日は呑みすぎた。呑んだ次の朝は何だか自責の念に駆られるものである。妻もややご機嫌斜めである。朝の食卓に神妙な顔で少しばかり小さくなって向かう。呑みすぎはよくない。幸い今まで大きな失敗はないが、これで自分の一生を棒に振った人もいる。(お前にだけは言われたくない・・・・悪友の声だ!) 『どうして俺は意思が弱いんだ』 『もうお酒はやめよう』大概は3〜4日だけはいつもそう思う。


午後からはこの白山の世界遺産に向けたセミナーに参加するため松任グランドホテルへと出かけた。
会場に着くとかなりの人が集まっており、知り合いも多くいた。まず目に付いたのが会場正面に掲げられていたタイトル看板である神仏習合の源は白山信仰の文字であった。


このセミナーは金沢経済同友会が音頭をとり、“霊峰白山の一帯”と藩政時代の名残りのある兼六園を中心と城下町金沢”世界遺産”に向けての一環として、石川県白山市福井県勝山市岐阜県郡上市から各市長と文化財学芸員などを招いて開かれたので、約300名もの人が参加した。


残念ながら先の国内の世界遺産の選考文化庁)では継続審議の地区となり、今後更なる世界遺産としての具体的な価値を見出す必要があるとの事で、今回は基調対談では、世界的に活躍している宗教学者の山折哲夫氏と、環境考古学者の安田喜則氏が話をされた。


大変に興味深い話であり日本人と西洋人の山に対する違いや、生命の源である水が昔から人々の暮らしや信仰心(宗教心)などにどのような影響を及ぼしたのか、さらには越の国(北陸)には昔どうして人が大勢集まってきたのか。そのルーツをたどればなど本当に参考になった。今後私のブログを通じて少しでも紹介していきたい。


話を聞きながら思った事は、お二人とも大変な専門家であるが我々素人にもよく分かる言葉で丁寧に解説してくれた。さすがだと思った。往々にして専門家の人は自分だけが分かっているようにやたら難しい言葉で話したがる人もいるが、知ってることを相手に伝える技術も大事であると思う。


次に自治体の市長と専門員によるパネルディスカッションに移ったが、県をまたぐ連携の難しさなどを感じたが、今後は“霊峰白山”を共通のテーマとしてそれぞれが連携し取り組むことを確認しセミナーを締めくくった。


ところで白山の歴史に詳しい方はご存知だが、有史以来今回参加した三県はかって連携した事は殆どなく、それぞれが独自に禅定道(登山道)や馬場(基地)を形成し、むしろ白山の利権をめぐって大変な争いを続けた歴史がある。そんな面ではもし連携がうまく行けば画期的な事なのである。


お互い白山のふもとに住み、山から恩恵を受けているものとして狭い了見でなく頑張って世界でも珍しい文化遺産が残る地としてアピールして頂きたいと思う。




☆久しぶりによく晴れた春の日に拝めた霊峰白山 (撮影:3月21日朝)

☆三自治体が連携した『白山の文化遺産セミナー』の風景 (3月21日午後)

飲み会で感じた商売とアイデア 110

isikawanokinsan2007-03-20

今日は夕方、近くの公民館で所属するスキークラブ(シニア部)の例会に出かけた。今シーズンの終わりと、先だっての3月2日からの志賀高原のスキーツアー(ブログ92〜94参照)の反省会を兼ねての会合である。


男女20数名が集まり、まずは形どうりの会長挨拶、事務局からの連絡事項などがあった。6月は尾瀬へのツアー”も決まった。ひと通りの話が終わったあと“乾杯”があり、そして宴が始まった。 自己紹介に始まり、それぞれが持ち寄ったビール・日本酒・焼酎・ワインといろいろ集まり、何でも出て来た。



小魚の“いさざの踊り食い”も出てきたが、ぴちぴち口の中に跳ねる生きた魚を食べるのは何だか可愛そうな気がしたので、私も最初は少し口にしたが途中でやめた。それからスキーツアーで私の撮ったビデオをDVDで編集したものを80インチの大画面に映して滑りののチェックを全員で行った。


自分の滑りはどんな格好なのか自分では普段分からない。呑みながらのビデオ鑑賞会は何とも楽しいものである。お互いが笑い転げながら見入った。その内私の隣に座っていた仲間が持ってきた日本酒の一升瓶を前に置いた。


何と、そのお酒の一升瓶は新聞紙に包まれていた。本当にそれは何とも変わったアイディアである。新聞紙中国新聞で日本酒は広島産であった。 面白い!ちょっとした、いいアイディアである。少し古いがまったく違った地方の新聞も見れるし、ローカルな記事も興味深い。おまけに古新聞の有効利用にもなる。我々スキー仲間のみんなの中でも話題になった


商売はある意味アイディアの勝負とも言える。新しい発想がなければ停滞する。若い柔軟な発想(創造力)が必要だ。少子高齢化がささやかれる中、単に定年延長をすればそれでいいとは限らないのだ。


雇用延長が老害になってはいけない。新しい若い人たちが新しい発想で社会や企業を作って行く環境が大事な事でなかろうか、誰が考え出したのかは知らないが新聞紙に包まれた(パッケージの)酒でそう感じた。


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★くつろぎの広場
・アンケート、去年と同じ、妻の年
・遺言が、あるのに遺産、何もない
・我が家では、進んでいるのは、時計だけ

                     (万能川柳より抜粋)
★歳時記
・春陰の、深き廂(ひさし)の、中にあり   (川本臥風)




☆新聞紙にくるまれた珍しいパッケージのお酒 (撮影:3月20日)


 

地域振興と観光ガイド塾  109

isikawanokinsan2007-03-19

今日も肌寒く、夕方には小雪が舞う時もあった。二月は春のように暖かく、三月に入ると一転して冬に逆戻りである。今日は午後から夕方にかけ白山市の市役所に隣接する市民交流館で第一回の“観光ガイド塾”が開かれた。


市長の挨拶があり、今までのように行政がいくら力を入れて箱物(建物や施設)を作っても、それをいかに運営しお客様に来てもらうかが大事であり、行政だけでは限界がある。やはりNPOや市民によるボランティア活動が不可欠でり、これを機に是非地域振興に尽力してほしいとの内容であつた。



確かに高度成長時代と違って、これからはただ施設を作ればいいと言うものではない、ソフトの時代である。自治体も財政健全化など早急に進めなくてはならないのが現状で、今後はますます補助金を当てに出来なくなってきている。自力で生きてかなくてはいけない時代でと思う。


参加者(受講者)一人一人の自己紹介のあと、続いて金沢の観光ボランティアガイド『まいどさん』の会長の話があった。日頃ガイドとして実践を通じ“観光ガイドとしての心構え”を体験交えながら話しをしたが、共感出来る部分も多く大変参考になった。さすが230名のガイドを率いている人である。


よく勘違いしている人が多い、それはガイドをするには歴史や自然などの知識がないと出来ないと思っている事である。しかしそうではない。勿論、知識が豊富な事はいい事には違いないが、むしろ実際は専門家ほどガイドにむいてない事が多い。


ガイドとは、いかにその地に来て頂いたお客様を満足させ、喜んでいただきそして幸せな気分にさせるかである。フアンとなり再び来てもらうかである。むしろ営業の原点であり分野そのものでもある。 “もてなす心”と“熱意”そしてボランティアの精神ががないとそれはやれない。 自分が少しぐらい知っているかと思って自分のペースで話する。私もそうだが、これは観光ガイドの最も陥りやすい間違いである。自分が決して主役になってはいけないのである


講師として来ていた金沢の『まいどさん』の喜多会長は最後は“人格・人望”の問題だと話した。だから観光ボランティアガイドのなろうとする人はまず人格(人柄)を磨くことだ言う。 これはなかなか難しいことであるが私も出来る限り努力をしてみたい。


ふるさとを愛し、そして来た人に喜んで帰ってもらう。自分も楽しく他人も楽しく健康で生きがいのある生活が、自分の努力次第で実現出来るのがボランティアガイドなのである。


☆金沢の観光ガイドのHP http://www.kanazawa-kankoukyoukai.gr.jp/special/maido/maido.html
白山市の観光案内のHP http://www.city.hakusan.ishikawa.jp/kankosuishinbu/kankosinkou/link/kanko_link.jsp


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★くつろぎの広場
・会社慣れ、仕事のふりも、うまくなり
・ゴマすりも、課長になれば、芸の内
・会議中、うなずく者は、ねてる者
 
                (平成サラリーマン川柳より抜粋)
★歳時記
風光る、石を出られぬ、野仏に  (榎木冬一郎)




☆地元の観光ガイドはこれからの地域振興の担い手 (撮影:3月17日)