2018年 こころ新たに再始動! 

謹賀新年

 皆様方のこの一年の健康とご活躍心より祈念いたしております。
石川の金さんも数年ぶりでブログでふるさとの情報と金さん日記を書きます。
あらためてよろしくお願いします。

石川の金さんは戌年生まれ、今年は年男(72才)いつの間にか老人の仲間入りか・・・・
サラリーマン定年後【白山のマグロ】とあだ名されるぐらい、仕事(自営業)と
道楽(地域活性化各種ボランティア活動)に現役時代より休みなく多忙に動き回り
昨年春、急に体調を崩し自宅で倒れ救急車で緊急入院2ヶ月近く入院、

若さと行動力がとりえだったがあらためて自分の歳を感じ、
日常の何でもない当たり前の平凡な生活の大切さを身をもって知ることになった
私にとって大きな変化となった年だった。

無理せず年相応に楽しく暮らすため、仕事や多くの地域団体のの世話役も降り、
家族や地域社会に迷惑をかけず自立し、仲間と趣味を楽しみながら
第3の人生を歩みたくブログも再開しました。

今日は寒波襲来で一日雪、朝久しぶりに雪かき健康に留意し頑張ります。
よろしくね

 

白山の里の冬晴れ

今日から2月、昨日に引き続き朝からふるさと石川は見事に晴れ上がり、朝の散歩は田んぼの硬く固まった雪の上を歩いた。
遠くに白山がくっきり見え、誰の足跡もついてない雪のうえをサクサクと音を立てながら歩いた。
昨年スイスのスキーで怪我してから少し運動を自重し、このところ運動不足気味だったので最近歩くことを再開した。
歩き終えると本当に気持ちが良い、何年かぶりにブログもこうして書こうと言う気にもなった。
人間は500万年位も前から自然の中で暮らしてきたから、やはり田舎の自然の中で暮らすほうが気持ちも落ち着くことが実感として
感じるようになった。若い時見逃していたことが見えることも多い。自分の住むふるさとを大切にし、田舎をもっと楽しもう!

白山麓にも春の訪れ

【石川の金さんふるさとだより】
山麓は例年に比べ雪が少ない冬を体験し、田畑のあぜに道にはフキノトウがいっぱいです。
農家の田起こしもぼちぼち始まりました。


【TH21だより】
イベント案内(3/9〜3/15)
3月10日(火)13:30〜15:00 白山郷体育館
 筋トレ教室 A1チーム (世)河野さん
●3月11日(水)13:30〜15:30 白山郷体育館
 第1回卓球教室 A4チーム (世)井上さん
●3月15日(日)9:30〜11:30 パーク獅子吼  
 自然ウォーク(早春の樹木公園周辺)B1チーム (世)太田勇さん

☆予約不要 現地集合

◆イベント予告
4月22日(水)より【ふるさとガイド養成塾】始まる受講生募集中!

TEAM(チーム)はくさん21を新結成

isikawanokinsan2009-03-09

自然と健康のまちづくり推進ボランティア団体
TEAM(チーム)はくさん21
を1月24日に発起人72名でふるさと白山市のパーク獅子吼に本部事務局を置き結成し、活動を開始しました。
21世紀の新しいライフスタイルを考え、やがて本格化する、少子高齢化時代に備え“自分の健康は自分で守り、より前向きに積極的に生きよう”明るく元気なふるさとづくりを目指し新たにスタートします。

石川の金さんはさらに頑張ります。

中国と越の国(こしのくに)北陸について

isikawanokinsan2008-08-08

今日午後8時(日本時間9時)から北京オリンピックがいよいよ始まるが、この中国、何んだかんだと騒がれているが、今や世界の大国にのし上がった国である。
今日はこの中国と北陸とが極めて深い関係にある事を少し書いてみたい。


私は歴史文化は大好きで、今でも地元の歴史研究会に所属したり歴史の本を読みあさっているが、日本の歴史の中で何と言っても誰もが面白いのは戦国時代だろう、室町時代の末期の下克上の時代各地にいた戦国武将たちが日本のリーダーを目指し、お互いが命を懸けながらあらゆる手段を駆使し戦った『国取り物語』そしてその覇者として、織田信長豊臣秀吉、そして戦国時代の最終の覇者徳川家康へと続く時代絵巻は誰でもが知るところである。


それより少し時代がさかのぼり、平安末期に武士団が形成され、源氏と平家の二大勢力が日本を二分して戦った時代も当時のスーパースター弁慶、義経伝説と共に男性には人気もあり、最近では源平の時代や戦国、そして江戸時代などを生きた女性にスポットが当てられテレビ等でも人気になる事も多くなった。


歴史に興味を持つと、だんだん時代をさかのぼる様になり、古代さらには神話の世界にまでたどり着く、私も今は卑弥呼の時代やさらには人類の誕生や古代文明に興味が移ってしまったようである。多くの本を読んでもこの時代はなぞだらけ、学説もいろいろあるようで学者の間でも論争がある位だから、まったく素人の私が混乱するのも当たり前である。何しろ誰もその時代を見た人はいないから仕方ないとも思う。


その時代の人間の生きる知恵や必死さには驚かされる。生きる事がそれだけ難しく、毎日が常に“死”と隣り合わせの生活、自分で身を守り生きるしかない。いわゆる今で言う『自分の行動の全ては自己責任』である。
今の世の中のように何でも『他人のせい』にしてなど、とても生きてはいけない時代なのである。果たして今の人間でその時代を生きれる人間は何人いるかな?つい考えてしまう。


話は脱線したが、北陸の事は古くから越前・越中・越後と呼ばれているが、これはいわゆる“越(えつ)の国”から始まっているようで、古くは中国の春秋時代(紀元前500年前、日本の縄文時代)に“越(えつ)”揚子江(長江川)の南に登場する。川を挟んで対面に呉(ご)、そして内陸部に楚(そ)など多くの部族が中国大陸に展開しお互いが戦う戦国時代へと突入する。越王はライバル呉を滅ぼし、その越は又楚に滅ばされる。(長江時代) そしてその楚もやがては泰に滅ぼされる。
あの広大な中国大陸を最初に統一したのが、あの有名な<万里の長城を築いた秦の始皇帝と言われる。ちなみに呉越同舟の言葉が生まれたのもこの時代の中国歴史からだと言われている。


“越(えつ)”の民族は優秀で、当時すでに製鉄の技術を持っており、航海の技術にも長けていたとも言われている。楚に攻められ揚子江の海岸線まで追い詰められた多くの越の人たちは船で海に逃れた対馬海流にうまく乗れば2〜3日で日本に流れ着くとも聞くが、ほとんどは日本海沿いの九州(博多)、島根(出雲)、そして北陸(敦賀能登)、新潟(佐渡などに流れ着いたと思われる。
 

九州を除けばいずれも日本海沿いの豪雪地帯、山に囲まれた北陸は昔から閉ざされた地区であり、そのことから考えるにその多くは北陸に住みつき、故郷と同じ越(えつ=こし)の国を造ったと推定だきる。その後朝鮮半島新羅高句麗などともかなりの交流があり、大陸の文化や技術などが伝えられ、まさに当時は日本の表玄関として各港は大いに栄えたのであろう・・・霊峰白山が航海の指標となり、多くの船乗り達に航海の安全を祈願する神として崇拝されたのはこのためでもある。(平安時代には当時の都人の和歌にも越の白山は多く詠まれた。)



氷河期日本海北部(能登半島近くまで)は厚い氷りにおおわれ、その上を多くの動物達が大陸から渡ってきて住みつき、それを追ってまた人間も日本に渡ったようだ。一方南方からは海流に乗って人々が日本に流れつき定住したと言われている。我々日本人、いずれもアジアに多く分布するモンゴライド(一般的なアジア人)たちの血(DNA)を引きついでいると言わざるを得ない。


今、中国がとやかく言われているが、北朝鮮などと共に政治体制の違い等より、我々日本人には理解しがたい事が起きるが、広大な中国大陸の4000年の歴史を考えてみると、中国は漢民族とは呼ばれるが多くの部族(自治区)が存在し、長期に統治する事は難しく、いずれは独立、分離するとの気もしてくる。
他国の事は良いにしても、平和にあぐらをかき自己の権利がかり過度に主張し、反面他人に頼らなければ生きていけない我々日本人も、そろそろもう一度自分達の生活の足元を、しつかり見直す事も必要なのではないだろうか?・・・


今はただ平和の祭典、北京オリンピックが平穏に終わること祈る。


★日本の伝統文化を学ぶアジアの留学生たち (世界遺産白川郷にて)


★中国を知る為のHP・・・・http://www.chinavi.jp/rekishi.html
            http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
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☆くつろぎの広場
・夫婦して、去年もポカンと花火みた。
・交番で、尋ねてみるか人の道
            
                    (ぼけせん川柳入選作より)

☆歳時記
・秋たつや、川瀬にまじる、川の音   【飯田蛇笏】

私のエコカーと最近のエコについて考える。

isikawanokinsan2008-08-02

今日、午前中にいつものセルフ式のガソリンスタンドへ、驚いた事にまたまた表示が変わっている。
何とレギュラー187円の表示になっているはないか、会員だからこれよりは若干安くなるにしてもこれはたまらない。何時どこまで高くなるのか新聞等では200円時代とかの記事が載っている。

先だって羽田から南房総(千葉)に行った時にジャンボタクシーの運転手の人が、東京周辺も車の通行量が減り走りやすくなったと話していたが、確かにここの所北陸でも夏休みにしては高速道路の車の量は減っているのか少ない感じである。おまけに猛スピードの車もめっきり少なくなったようだ。私も思わず速度メーターについている表示をリッター当たりの距離に切り替えてみた。私の車は2000CCの中型車だが、なるほど少しアクセルを踏むととたんにリッター当たり7㎞位しか走らないが、そっと踏んでみると20㎞以上になる。今は省エネ走行で大きく変わると聞いてはいたがその通りかもしれない(今さらと笑われるかもしれないが・・・・)

洞爺湖サミットが終わり、改めて地球規模での環境問題がクローズされ、今や世界の各地で話題となってる地球温暖化、そう言えば今年2月にヨーロッパ(フランス、スイス、イタリア)に行く機会があり、あの有名なシャモニーの大氷河を滑った時、何と氷河が昔から比べ100mも融けてその跡がはっきり見られたのには正直驚いた。それだけ温暖化のスピードは早くなっていると言える。
私が現在住んデいる所のすぐ近くにそびえる霊峰白山の万年雪もかなり少なくなり、やがて無くなるのも時間の問題と地元でも言われている。

『現在行われている一般的な温暖化や環境対策はまったく効果ない』などと書かれている本も読んだが、それではどうすれば良いのかがもう一つはっきり書かれてない。確かに専門家から見れば効果がない事かも知れないが、地球に住む人々が地球環境に関心を持つこと自体は決して無意味ではないと思う。


人類の誕生が6千万年前とも言われてているが、歴史的に見ても、ここわずか100〜200年間の科学の進歩は考えられないくらいでそのスピードは速く、特にエネルギー資源として石油の利用アメリカから中心に始まり、二次商品が開発され、そして電気や通信の出現で世の中が大きく変ってしまった。自分の小さい頃と今、比べてみるとまさに驚くしかない進歩である。
考えてみれば明治初期にやっとガス灯の明かりが街に出現したのである。それが今は携帯電話で世界の人といつでも話やメール・情報入手が簡単に出来る便利な時代でもある。現代社会は石油全盛時代とも言われる。明治以後の世界で行われた戦争の大半は宗教的な事を別にすれば、全てエネルギーの奪い合いが何らか絡んでいると思われる。


ところで私のエコカーそれは自転車である。5月過ぎから利用しない日は無いぐらいである。
ガソリンゼロ、おまけに健康が得られるし地球環境にはこれ以上のものはなく、まさに“一石三鳥”の乗り物である。この夏の暑いときでも?と言われるかもしれないが、実際に走ると風を切るから扇風機をかけているようなもの、このところ軽四自動車と共に自転車よく売れていると聞く、しかも多段変速付の十万円近くもする高級車が売れると知人からも聞いた。スピードも辞時速50キロ位は出るものもあるらしい。排気ガスもださずや地球環境に優しい乗り物である。
但し、こう暑いとこの乗り物、走り終わると時々アルコール燃料(ビール等)を欲しがる時もある。この程度の事は目をつぶって欲しい。


最近はメタボなど飽食の時代で増えて来ているから、運動不足解消にはうってつけだと思う。女性の人でひたすら痩せるため食事を制限し努力している人が多いと聞くが、確かに皮下脂肪は食事制限である程度減らせるが、肝心の内臓脂肪はあまり減らず、これを減らすには毎日適度な運動をするしかないらしい。
これからは老人が街にあふれる社会、今までの社会のように年寄りだからと言って、他人に出来るだけ頼る事など考えず、“自分の身は自分で守る”その為には何をすれば良いか私も考えて行きたい。それに世の中のスピードももう少しゆっくりでも良いように思うし、この際生活を見直してみても良い様にも思う。何しろ物質的に豊かな国イコール幸せな国では無い結果が出ていた。 【世界の経済大国日本は幸福度は46位・・・】

白山麓の自然と金沢の伝統文化の息づかいを感じた日

金沢能楽美術館

付近の山に朝雲がまだらにかかりその合間からようやく太陽が昇り始めた早朝、友人とすぐ近くの獅子吼高原の山(標高約700m)へ健康づくりの為トレッキングに出かけた。とにかく自然がすぐ近くにあるのは何と言っても有り難い、田舎ならではである。
特に石川県は細長く片方は山、それも西日本で一番高い山“霊峰白山”(標高2702m)があり、そして日本海も近い、大都会と比べれば多少の不便さがあるが、自然には恵まれた良い所である。


今日はここから約2時間ぐらい(最短コースは約1時時間)ノルデックウォーキング用のポールを使い樹木公園から頂上(後高山)へ通常はゴンドラでわずか数分で行ける。このスカイ獅子吼から見る景色は抜群手取川扇状地が眼下に見渡せ加賀平野から金沢が一望できる。空にはカラフルなパラグライダー優雅に舞っている。日本海からの涼しい風を感じるここは日本でも有数なハングライダーの基地でもある。本当に時間がゆったり流れる。


午前中の健康づくりを終え、一汗かいた身体を家でシャワーで流し昼食
午後からはチョツトした用事で金沢の中心街に出た。金沢はさすが観光都市だから街はとても綺麗である。グリーンのジャンパーを着たボランティアと思しき街の中のゴミなど拾う集団ともであった。
兼六園のすぐ近くに目指す金沢能楽美術館がある。


私も何度も前を通った事はあるがこの建物の中に入るのは初めてである。ちなみにJR金沢駅前には新しい県立能楽堂があるし、金沢周辺には能舞台を持つところも数箇所ある。又今でも金沢の路地裏などを歩くと“謡い”や“鼓”などを耳にする事もある。加賀百万石と言われた優雅さを感じる時でもある。


“能”のじれったいほどゆっくりと舞うさまはまさに“静”おそらく現代とは百八十度違う世界である。私もほんのわずか見たことがある。まったく何を舞っているか判らないがそれでも何時しか時間がたっていた事を思い出した。
会館は入るとさほど大きくはないがゆったりとし、静かに能楽の音が流れ何とも心が落ち着く。


今日は能楽の題材である軍記物語の歴史・文化の解説のセミナーがあり、平家物語に登場する女性達の姿を講師の方から一人一人の生き様を解説してもらった。なるほど人の人生は分からないもので、まさに人生無常である。誰にも分からないのである。

セミナーが終わった後、能楽の衣装などや、台本などの展示をゆっくり展示室で見たが美術を分からない私が見ても本当に豪華で優雅さが伝わる能面もじっと見つめていると生きているような錯覚を覚えた。
人はまばらあるが外国人もいる。ビデオを見ながら日本人の私も理解できないのに言葉の分かるのかな?とも思った。

能楽美術館を出るとすぐ横には人気の21世紀美術館がある。大勢の人が円形でガラス張りにこの建物に出入りしている姿が目に入る。古典と現代美術が同居し、周辺には目的別に多くの博物館や美術館がある芸術や文化を知るには大変便利なところでもある。

昔、加賀藩は国内で最も大きな百万石を誇る外様大名として幕府から常に監視されつづけ三百年、その間ひたすら文化や芸能・工芸を奨励しこれが今日に引き継がれ文化都市金沢をイメージつける。自然と同様後世に引き継ぐべき遺産でもあると感じた。

兼六園も日本三庭園(名園)のすばらしい庭であるが、金沢は兼六園だけではないのである。ゆっくりと時が流れる街でもある。


 
☆獅子吼高原から日本海を見る風景
 
金沢21世紀美術館