昔から言われる予兆や迷信について  123

isikawanokinsan2007-04-20

今日は比較的穏やかなうす曇の春の一日であった。霊峰白山も雲の間からいつもどうりの真っ白な姿で見える。最近私の家の周りの農家の人たちが田んぼを耕したせいか鳥達が虫でも探しているのかいろいろ見ることが出来る。


今日も出かけてすぐにカラスが田んぼに群れているのが目に付いた。カラスはどうも昔から人間には好かれてなく、むしろ不吉な鳥と呼ばれる事すらある。これは体全体が真っ黒で弔事(死)の時などを連想させ、おまけにその泣き声が何とも哀れであったり、苦しそうに感じる事があるからかも知れない。しかしその頭脳は鳥としては極めていいらしい。


私も昨年、自分の家庭菜園でやっと実ったトウモロコシすべてを食べられた事がある。それもぼちぼち収穫しようかと思った次の日であった。どれだけ頭にきた事か、だから私もカラスは憎いので時々小石を投げつける事がある。大抵は歳のせいか届かず 『カアーカアー』と鳴くだけで時には『アホアホ』と聞こえることさえある。
中にはまったく無視するやつさえいる。まるで馬鹿にされているようだ。


ところで我々昔からの生活の中で予感とか予兆とかと言う言葉を使うことがある。いわゆる前知らせや何だか判らないが何かを感じる事を言う。しかしその力は人間以上に動物や鳥などの方が敏感とも言われる。最近能登(石川)や亀山(三重)に地震が相次いだが、多くの学専門家や学者の方々が研究しているがなかなか予知が難しいらしい。


最近ある有名大学の研究所で自然界の生物達の予知能力を改めて研究しようとゆう試みが始まったと報道で耳にしたことがある。面白い試みであると思うし昔の人たちはかなりの部分そうした事で生活していたようでもある。その中には科学の発達した今から考えとばかげた事もあるが当時の人々は真剣だったのである。中には結構うなずける事も多いのである。


『靴(下駄)のひもが切れると不吉な事がある』『カラスの鳴き方で人が死ぬ』『夜爪を切ると親の不幸に・・・』『猫が顔を洗うと翌日は雨になる』『茶柱が立つとお客がくる』『朝蜘蛛は良いことがあるが夜の蜘蛛はよくない』『夜口笛を吹いてはならない』『北枕で寝てはいけない』『庭にいる蛇は殺してはならない』さらには『庭に梨を植えるな、財産なしになる』・・・・・
多分いくつかは聞いた事があると思う。


数え上げれば限がないくらいで、私も親からもよく聞かされた事が多い、なぜこのような予兆や戒めともとれる言い伝えが生まれたのか?全国にはおそらく多くのこのような言い伝えがあると思うし、私の住む山麓にもいろいろあると思うそれぞれにもっと掘り下げて研究してみるのもとても面白いとも思う


我々人間は意識、無意識にかかわらず誰でもどこかで不安を持って暮らしているものと思う。だからバカバカしいとは思いながらも昔からの言い伝えはどことなく日々の暮らしの中で結びつけ意識しているもので、私もそれらは迷信だから関係ないとは思うがあえて逆らおうとも思わない。

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★くつろぎの広場
・百人の、村に派閥が、いくつある
・合併の、横文字バンク、判りかね
クロネコが、赤いポストに、寄り付かず
                  (ぼけせん川柳より抜粋)

★歳時記
・我が旅も、いく夜か寝ねつ、春の夢    (蝶 無)



☆白山麓の春の装いと躍動


★散歩路に咲く春の草花


★用水の咲くスイセン