金沢の昔の風習“浅野川七つ橋渡り”を体験して 107

isikawanokinsan2007-03-17

金沢には珍しい風習がある。以前聞いた事はあるが、珍しいし面白いと思って一度自分で体験する為今日はその行事参加してみた。それは金沢市でお彼岸の中日(春・秋分の日など)の深夜に行われる浅野川七つ橋渡り”の行事で今日は体験プレイベントである。今日はその少し変わった習慣と実際どうであったのか紹介する事ににする。


金沢を代表する川と言えば金沢城を中心として南を流れる犀川と北を流れる浅野川であり共に“おとこ川・おんな川”として知られる。近くには共に“寺町や東山寺院群”があり、その川べりには片や文豪室生犀星もう片方の浅野川には“徳田秋声”・“泉鏡花が愛したところとして地元ではよく知られている。この中で浅野川には面白い風習が残っており、この川にかかる橋を渡るのが“七つ橋渡り”であるが、これが少し変わっている。


まず参加する人は
①白い新しい下着をつけこれに名前、生年月日書く。
②参加は一人でも、連れでも良い。
③川の上より下へ、これに架かる“七つの橋”を渡り、同じ道は通らない。
④無言(しゃべってはならない)で渡り、渡り始めと終わりには合掌する。
⑤歩いている最中は無言で決して後ろを振り返らないこと。
⑤終わったら、使った下着を洗い、乾燥させ紙に包み水引を掛けてしまっておく。
⑥「死んだらお棺の中へ、紙に包み水引掛けの下着を入れてほしい」と頼んでおく。

おおよそ以上だがそのいわれは
「長患いや中風にならないように」
「歳をとり、下の世話にならないように」
「寝たきりになり、子供や嫁さんの世話にならないように」

との願いが込めらていると聞いた。


以前私のブログでも若干触れたが、もともと仏教では川は“あの世”と”この世”を分ける境と信じられている。“三途の川”とよく言われ、人が亡くなった時の通夜の習慣に関係する。したがってこの風習も同じように、“黄泉の国”(よみのくに=あの世)と現世とを行き来し、一度死んで戻って来るのであり、再び新しい自分に生まれ変わる事を意味しているのであろう。 歩く最初と最後に近くのお寺にお参りし、報告とお礼をする。


それにしても時々小雪のちらつく寒い中大変な多くの参加者であった。年配の女性が多かったが、男性も比較的若い人もいた。金沢の観光ボランティアガイド『まいどさん』の案内で10人が一つのグループとして回ったが、私はガイドの研修も兼ね一足早く体験した。今日は朝10時スタートであったが、本番はまもなく来る彼岸の中日(3/21 春分の日)の深夜である。最近は観光バスなどでもかなり来るらしい。


出発にあたり、白い下着を用意してない人には、今日は関係者が作った白い紙で折った着物が手渡され、私も持って帰った。


今日夜は我が家では、少し遅れたホワイトデーになり、妻と息子夫婦に私がへそくりで食事をご馳走する羽目になった。何とも高くついたチョコレートである。居酒屋に向かう車の中で、今日の体験ともらった白い紙人形の着物の話をし、私が死んだら自分のお棺の中へ入れるう頼んだら。まったく相手にされず、あきれはてて一笑にふされた。(またも極楽ボケオヤジが・・・)


金沢市観光協会HP http://www.kanazawa-kankoukyoukai.gr.jp/

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★くつろぎの広場
・入院の、部長を見舞う、あみだくじ
・会議中、夢の中まで、あくびする
・役員会、肩書きなければ、老人会

                 (サラリーマン川柳
★歳時記
・三月や、冬の景色の、桑一本 (丈 草)







金沢市内を流れる浅野川(女川)にかかる橋と主計町(かずえまち)茶屋街 (撮影:3月17日午前)