おわら風の盆と坂の町、越中八尾を訪ねて 106  

isikawanokinsan2007-03-16

朝、メールや電話で早めに用事を済ませ、今日は地元観光協会の人達と“風の盆”“おはら節”で知られる越中八尾(えっちゅうやつお)に『視察研修』に出かけた。


毎年九月に行われ、あの独特な“胡弓の音”と編み笠の着流し姿で、三日三晩踊り明かす全国的にも知られるおわら風の盆を私は最近見たことが無い。と言うのはあまりの人の多さで、車の渋滞がひどいと聞いているからである。


今日は車で北陸自動車道を通り十時過ぎに越中八尾観光会館”に着いた。着くとすぐこの町の観光協会の若い事務局長とそれぞれが名刺交換。その後すぐに八尾町(合併し富山市)の現状や観光事業への取り組み・体制などの説明があった。


風の盆が開催されている期間、狭いこの町にはたった三日間位で約30万人近い人が集まるがである。それはこの地域の人たちみんなが、このイベントを本当に自分達の町のものとして楽しんでいるからで、この期間は県外に出ている人も地元にかなり帰ると聞く。ここまでになったのは地元の観光協会はじめ町を愛する有志の人の影の努力であろう。


若い事務局長の話を聞くと、ここは行政の力(補助金など)だけにたよることなく自分達の力で町を作って行こうとう気概が伝わってくる。三日間だけでなく通年型としてどうして観光事業を展開し、少しでも地元の経済活性化を図るか真剣に取り組んでいるようである。


話を終わり、今度は昔からおわら風の盆と並んでこの地で昔(江戸時代)からつたわる“曳山”(ひきやま:富山県文化財指定・祭り5月3日)展示館へ案内され、係りの人から歴史などいろいろ説明をして頂いた。江戸時代の加賀藩を偲ぶ伝統工芸の粋を結集し作られた豪華な山車が三台もそろっている又“風の盆の資料室”にも案内され、あの独特な物悲しさの風情を町中にかもし出す“胡弓の音”は明治以降に踊りの中に地元の愛好家により取り入れられ、そこしづつ検討を重ね、変化を繰り返しながら今の音色になったと言う。 地元の人による地道な努力の結晶でもある。


次に会館の外に出て町並みを歩いた。さほど大きいとは言えない、全国どこにでもある平凡な山間の町である。坂が多い、しかしこの坂を逆発想に『坂の町八尾』として、これを前面に押し出し観光のキャッチコピーとしているのはさすがである。


町の中は昔の町並みの風情が残り、あちこちで家の部分改装が行われている。聞くとこの町の人は自発的に自費で自分の家を昔のイメージが感じられるように景観を保っていると聞く。普通、殆ど全国の町並み景観保存には行政が補助金を出しこれを守っているケースが殆どである。しかしここは違った、『自分達の町は自分達が作る』だから『市町村合併道州制が導入されてもさほど関係ありません』との事であった。


補助金だけに頼らず“自分達の町を自分達で作る” わずかな時間であったが大変参考にもなった視察研修でもあった。『まだまだやらないといけない課題も多いとの事であったが頑張ってほしいと思う。今年九月の風の盆はできれば行ってみたいと思っている。


★八尾観光協会のHP http://www.yatsuo.net/kankou/


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★くつろぎの広場
・父さんは、どうしてボクに、似ているの
・パパとママ、結婚させた、のはおまえ
・そばにいる、夫が邪魔な、メロドラマ

                   (万能川柳より抜粋)

★歳時記
・雪の果、山の日当たる、障子かな  (増田龍雨)



☆八尾の町に建つ“おわら風の盆の像” (撮影:3月16日)

☆自前の町、越中八尾の町並み  (撮影:3月16日)

☆窓から見る、雪の残る“坂の町”越中八尾  (撮影:3月16日)