信州志賀高原とその伝説について 92

isikawanokinsan2007-03-02

朝まだ暗い5時に自宅付近から中型観光バスで、所属するスキーシニアクラブの仲間と信州スキーツアーに出発した。 6時半過ぎに北陸自動車道富山IC付近を通過した。わずかに雲のかかった北アルプス剣岳の峰々がきれいに見えた。その山のかなたから大きな太陽が、顔を少しづつ覗かせた。 明るみを帯びてきた高速道路をバスは新潟上越市を通過し、左右に山の峰々がすぐ近くに見えるのどかな農村の風景を見ながら、一路信州信濃へと向かった。


白樺林の中の曲がりくねった道を走り、十時頃予定どうり志賀高原スキー場に着いた。ホテルに入る前、やはり仕事が気になり携帯電話で取引先へ電話連絡を行う。こんな時はつくづく携帯電話の便利さを思う。 ホテルの部屋に入り少しの休憩の後スキーの準備をしていよいよ外に出た。


今日はすぐ前のゲレンデ(前山・熊の湯)で滑る事になった。リフト乗り場に行くとすぐ前に大きな岩があった。 よく見るとそこには国定忠治隠れ岩』と記されてある。 そうかここは長野県と群馬県の県境が近い、国定忠治が立てこもった妙義山もそんなに遠くない。 昨年群馬県をひとり旅した時ふと立ち寄った国定忠治一家の墓をたずねた事がある。任侠(やくざ)の世界に生きたのにヒーローとしてこうして今に伝えられるのは庶民の味方?(反権力)がオーバーに後の世に伝えられたからであろう。


ここ志賀高原に伝えれれる伝説はいくつかあるが最も知られているのが『大蛇と黒姫さま』の伝説であろう。立山・白山にも『黒百合』伝説があるが後日書くとして、


この地の戦国時代の昔、北信濃の小さなお城(高梨城)の城主攝津守政盛に黒姫と言ってとても美しい一人娘ががいた。大変に信仰深くいつも山(箱山)を越えお参りに出かけていた。ある日沓野山にある“大沼”の“大蛇黒竜”が一目ぼれし若侍に姿を変えて求婚したが、正体を知った城主は難題を出した『この城を三度回ったら姫をくれてやろう』といい、城の周りに刃物の刃を上に向け並べた。白馬に乗った若侍は城を回るうち傷つきのた打ち回った。 


その内激しい雷雨となり城は大洪水がとなり、村々は流された。 それを見た黒姫は『お父様は卑怯です。』と言って天主に登り『嵐を沈めてください、私を連れてってください』といい若侍と一緒に五岳の山の空に消えた。二人が消えた山を『黒姫山』と呼ぶようになったと伝えられるそうでる。 おそらく姫は人柱となり大沼池に身を投げたのだろう。 その大沼池には今も竜神様が祀られているとか・・・今も『大沼池』や『黒姫山』はよく知られている。

このように日本各地には今も知名となった伝説がいっぱい残っている。これを調べるのが又面白い。それと渋峠(県境、しぶとおげ)に建つロッジには建物の真ん中が県境の表示があったり、そこに“日本国道最高地点(2172m)到達証明書”(100円)が売ってあり、何でも商売に結び付けているのが面白かった。ここのロッジの前にはTVで紹介されたパトロール隊とともに活躍するの救助犬もいた。今まで気づかなかった事が、旅先でもすぐ何か目に付くようになった。




☆高速道と朝焼けの北アルプス  (撮影:3月2日)



志賀高原スキー場の風景
   (撮影:3月2日)


渋峠で見た、救助隊の犬とロッジに中の県境 (撮影:3月2日)







あまりの楽しさでつい呑み過ぎたので、今日のブログは少しずつ書いていきます。


今日もすっきりしない天気が続く、このところ又春が足踏みをしているようである。しかし街の中をよく見ると桜だけではない、近所の庭の木にも白やピンク色の花が目立って来た。鳥のさえずりも以前より多くなった感じもする。


私は花や草花が咲いた時のきれいさはすごく感じるが、英語と同じでまったく名前が覚えられない。何とか今年はこの事に挑戦してみようとも思っている。いつも山や森に行くと、「あれは○○の木、こちらは○○の花」とすぐ見つける人がいるが。一緒に行くとうらやましいと思う事が多い。


ところで