子供に伝えたいふるさとの民話と昔ばなし 88

isikawanokinsan2007-02-26

今日も朝からすばらしい天気である。朝早く起きて、会社への週間報告書を作成しメールで送信。 それから日課としている散歩に出かけた。たまには違うコースもいいかなと思い、いつもと反対の方角に歩いた。すがすがしい田舎の朝の青い空、向こうのかなたにに“霊峰白山”がとてもきれいに見えた。


しばらく歩くと近くの小学校へ向かう子供達の集団と出合った。小さな子供達がふざけながら歩いていた。 突然車道へ飛び出す子がいた。 『危ないから車道に飛び出すのだけは止めなさい』 と声を掛けようとしたが、やめた。 ずっと向こうの交差点の方でじっとこちらを見ているボランティアのお年寄りと、安全監視しているパトカーが目に入った。 しばらく歩きその交差点に差しかかると、うさんくさそうな目で私をじろじろ見つめていた。 あの時私も声を掛けなくて良かったと思った。 (決してその人たちをどうのこうの言うのではない)


しかし何だか今の世の中変だ。何かが間違っているように思えてきた。 危ないと思った子供にも声すら掛けれない社会、ここまで“人間不信”な世の中にしたのは誰だ。 政治家?教育関係者?それとも・・・・それは誰でもない、私をはじめ今の大人の人すべて(特に老人や中高年といわれる人)に他ならない。 


子供は生まれた時は、今も昔も誰もが真っ白な状態で世に出てくるこの点は変わらない。そして育つが、その後の環境や育て方で考え方や行動が決まってくる。 この世の中は誰かがつくったわけではない、我々がつくっているのである。 自らの責任を回避しすべてを他人のせいにする我々大人、これでは子供の価値観・行動もそうならざるを得ないだろう。(私もその一人ではある)


最近、私は歴史を勉強するため、ふるさとの民話や昔話を読む事が多くなったが、読んでいて気のつくことがある。それは面白おかしく分かりやす“人の道”を教えている事である。平たく言えば悪いことをすると必ず報いが来るし、良い行いをすればいつかは幸せが来る。どんなことが良い行いか、悪い事なのかもしっかり教えている。 だから知らず知らずの内に正義とはとか他人への思いやりとかが自然と身につく。 昔はおじいちゃんや親からそして近所の古老からもそんな民話や昔話は聞いたことがある。 何もやれ『道徳とは・・・』などと難しいことを言う必要はないのである。


今の社会ははどうか? とにかくいかに他人をあざむき、うまい事やって、社会的な地位やお金をためるかそれの競争である。それに負けた人は子供に自分の夢を託すかさもなくば脱落し見放される。 子供のゲームを見ればよく分かる。いかにして相手の弱点を見つけ相手をやっつけるかの内容が多い、人を見れば泥棒と思えである。毎日こんな事を繰り返していると、これでは人間(他人)不信になるのはあたり前である。 


親は何も教えず、ゲームやTVで育てられる子供達これが実態でと思う。 親は自らが責任をもって自分の子育てすべきであると思う。 何も教育基本法がどうのこうのや先生の免許が・・・と言う前に私達大人がすべき事がいっぱいある。(偉そうに言うつもりはないが) 私もおとぎ話や民話をもっと勉強し、そこに隠された歴史や伝承、そしてそれを通じての当時の教えがどうだったのか? 子供の教育にどう影響したのかを少しでも知りたいと思う。人間死ねばそれまでではあるが、我々は少なくても次の世代に良い世の中をつないで行く責任ががあるのだ。  (こんな事を書くのも、おれが歳をとった証拠かも・・・・・)


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★くつろぎの広場
・アンケート、ほんとは何歳(いくつ)と、子に問われ
・年齢を、はっきり言えた、五年前
・アンケート、生年月日で、手が止まる

                (サラリーマン川柳より抜粋)
★歳時記
・受験期の、もみあげのびて、愛(いと)しさよ  (軽部鳥頭子)




☆いつもの散歩道で朝の散歩するカモの夫婦? (撮影:2月12日)

☆読むと楽しくためになる童話の絵本の数々 (撮影:2月26日)