『おはぎ屋』にあった“雛人形”とお菓子 84

isikawanokinsan2007-02-22

今日は、朝五時に起きて支度をし、まだ暗い中金沢城のほとりにあるホテルへと向かった。 昨日朝、突然なつかしい中学時代の同級生より電話があり、ある法人主催の早朝セミナーに出かけた。 朝まだ薄暗い6時ではあるが、地元銀行の頭取はじめ大勢の人が集まっており正直びっくりした。



主催者挨拶・例会など型どおりのセレモニーがあり、次に“県知事”特別講師とし紹介された。 『こんな早朝に知事も大変だなあー、体力がないと勤まらないな』と思いつつ、最近話題になっている“東国原宮崎県知事”そのまんま東氏)がチラッと脳裏をかすめた。 


県知事(団塊の世代生まれ)は健康維持のため早朝、知事公舎(兼六園近く)付近を毎日早朝ウオーキングをしている事。 石川県の工場誘致に地元が発祥の地でもあるコマツ(建機・土木機械)を誘致した時の経過や苦労話をし、行政も県民のために一生懸命取り組んでいることを訴えた。



終わった後、会場の外へ出るとすがすがしい青空の朝だった。 すぐに帰り家で朝食をとり、今度は所属する観光ボランティアの役員会・定例会に出席、昼少し前、白山神社表参道にあるいっぷく処『おはぎ屋』に寄った。 玄関に入りすぐに目に付いたのが 床の間に昨日飾られた雛人形飾り”である。それは立派のもので会員の女性の家(旧松任市)のものだと聞く。 場所の関係もあり三段しか飾らなかったのだが本当は七段飾りであるらしい。 昔私の実家にあったかなり色あせ、はげたものとは大違いの豪華なものである。
 


おはぎ屋の店内には春らしい『桜餅』や『草餅』『うぐいす餅』『あられ類』が並んでいた。昔には女の子の節句を祝う食べ物にはそれ以外に『ちらし寿司』や『ハマグリのお吸い物』それに『白酒』などがお祝いにきた親戚や友人に振舞われたようだ。



ところでこの雛人形(ブログ80参照)紙又は土で作られ多くはそれに着物を着せる。古くは平安時代からあり、初めは“立ち雛(紙雛)”が生まれ、室町時代には“座り雛”(人形雛) そして江戸中期以降には今日の雛人形が作られ、ひな祭りも盛んになったようだ。 



雛飾りは一般に節分(それまでは冬)以降の大安や友引などの晴れた日に出す。飾り方は結婚式の新郎・新婦のように飾り(京都は左右逆飾り)以下三人官女”“五人囃子”(はやし) そして菅原道真でおなじみの左大臣・右大臣(ずいしん)を飾る。以下略するが、終わるとしまうのは“雛納め”と言って早いほうが良いとされる。(最も一般的に言われるのは5日まで) これは女性だから遅いと婚期が遅れるとも伝えられ、桃の花が散ってしまうとも言われている。 いつの世でも女性は花にたとえられる。確かに男には花が似合わない。ちなみに“雛男”とはやさ男・美男をさすが現代は“ひな男”がもてるのかも知れない。私たちの時代は男は強いだけが求められような気がする。



午後からは仕事で金沢市内に予定外に手間どり、かなり夜遅くなり今日はついに夜の水墨画教室にはいけずじまいに終わった。


雛人形紹介詳細HP http://www.kougetsu.co.jp/hinamatsuri/rekisi.html

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★くつろぎの広場
・左遷(とば)された、先は女房の、里近く
・人事異動、母は栄転、父左遷
・ランドセル、親の夢まで、背負わされ

             (平成サラリーマン川柳より抜粋)

★歳時記
・草よりも、影に春めく、色を見し  (高木晴子)



雛人形が飾られたいっぷく処『おはぎ屋』店内 (撮影:2月22日午前)