午前中は金沢の町に、そして午後は越前福井へと向かった。美川インターから北陸自動車道を車を走らせた。 昨日とは一転冬の天気、海岸沿いに走る高速道は晴れた日にはとても日本海がきれいだが、今日は湿った雪が横殴りに日本海から吹く、時々強風で車があおられる。前を走る観光バスもふらふらして走っている。ハンドルをしっかり握りスピードも60キロ弱に落として走る。 私の車の上にはルーフボックス(通称棺おけ)を積んでいるからなおさら風の影響を受けやすい。(風で今日は北陸線も運休が出たらしい)
しばらく走ると海岸沿いから山手の方にカーブし入るところに(加賀市)“尼御前SA”がある。とりあえずトイレ休憩と待機を兼ねここに車を止めた。ゴーと海の音か風の音かは知らないが誰かが吼えているかの様な音だ。そう言えばこの辺は“尼御前岬”と呼ぶ伝説の地でもある。2〜3年前訪れた時は青い海と茶灰白色の岩それに緑の松がきれいだった。
その昔、源義経の一行(弁慶や女性もいた)が都落ちし奥州(陸奥の国、今の岩手県など東北4県)に藤原秀衡(ひでひら)を頼り逃げ延びる時にこの地に来た。その時一行の中にいた一人の女性が(義経の寵愛を受けていた)が、足でまといになってはと思いこの岬から身を投げ、自らの命を絶った所と言い伝えられている。女性の名は“尼御前”と呼ばれた。 (後日書くが、白山麓には同時代生きた女性で“仏御前”の伝説も残る。後日紹介予定) “安宅の関”(小松市)といい、この辺には当時の日本のヒーロー“義経伝説”が多く残っている。
九頭竜川を渡り“福井市”に入った。県庁所在地だが静かな“地方の町”を感じる。 天候のせいも有るが人も車も少ない。駅前の繁華街も金沢に比べ、やや賑やかさに欠けあまり派手さは感じない。やはり金沢は北陸の中心になってきた感じがする。 しかし福井は昔は“越の国”(高志の国=北陸)の玄関口として大変栄え、“越前”と呼ばれた。今から約1300年前頃は石川県は越前の一部であり、その後『能登の国』が独立し、そして次に『加賀の国』も出来たと文献にある。(石川の生みの母であり、石川県人は何も威張る事はないのだ) 越前の地は昔から多くの合戦(賤が岳の合戦など)が行われ、江戸時代は外様大名の加賀藩を監視する、結城秀康(家康の二男後の松平)を福井藩に置いた。
越の国、北陸は山と海に囲まれた狭い地区では有るが、過去の歴史より藩政時代のライバル関係が根強く残り、最近まで尾を引いている面も多々あったが、情報とスピード化の進む現代はそれぞれがエゴを捨て共通のテーマでもっと力合わせ取り組む事が大切だと思う。それが新幹線開通を睨んだ“観光や自然保護”等でも有ると思った。・・・帰途激しく吹雪出した。明日は久しぶりに又冬が戻りそうだ。
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★くつろぎの広場
【ふるさとクイズ】
1.兼六園と金沢城公園、広いのはどっち?
①兼六園 ②金沢城公園 ③ほぼ同じ
2.金沢を代表する浅野川と犀川、長いのはどっち?
①浅野川 ②犀川 ③ほぼ同じ
3.「一生懸命」という意味の金沢ことばはどれ?
①ガンコ ②ガッパ ③ガンバ ④ガリ
(金沢検定より、答えはページの一番最後)
★歳時記
・春寒し、風の笹山、ひるがえり (暁 台)
☆市電の走る、福井フェニックス通り (撮影:2月15日午後)
☆近代ビル街にある。昔の風格を感じさせる福井地方裁判所 (撮影:2月15日)
☆福井城跡に建つ福井県庁 (撮影:12月26日)
※クイズ答え:1.② 2.② 3.②