青空の中の白山麓一里野温泉スキー場  69

isikawanokinsan2007-02-07

昨日取引先からの電話で今日の予定は変更。丁度退職前いた会社の後輩からお誘いの電話があった。久しぶりに前いた会社の高業績な情報も聞けるし、何か参考になることも有るだろうと、今日は近くのスキー場に一緒に行くことにした。 
電話で用件を済ませた後、「さてどこへ行こうか?」と思案しながら車で山麓に向かった。昨日よりはやや寒いが、殆ど雲も無く青空が広がり周囲の山々はくっきりきれいに見える最高の日である。


国道157号線を福井に向けてしばらく走ると、手取川と尾添川(おぞがわ)の合流点に架かる橋(濁りずみ橋)を渡ると“旧尾口村(現白山市)に入る。ここは白山の領域だがこの地はその昔、加賀藩(石川)と福井藩(越前)が白山の領有権をめぐりたびたび争いを起こし江戸幕府が調停大岡越前など)に乗り出し、結果的に喧嘩両成敗天領”(幕府直轄地)にし長きに渡り加賀藩から分離され独自な文化が芽生えたところでもある。(争いにかこつけ、ちゃっかり漁夫の利を得たのは幕府であった。)


ここを直進し白山スパー林道入り口冬季閉鎖)にむけてすぐに、道の駅“瀬女(せな)”がありその向かいに新しい大きな建物が見えるがかんぽの宿である。ここには最近若い人に人気の “瀬女高原スキー場” があり、さらに曲がりくねった山道を川沿いに10分くらい奥に進み、尾添の集落を過ぎると急に視界が開け、広いところにたくさんの旅館やホテルスキー場のゲレンデがすぐ目の前に見えてくる。ここが石川県で一番人気の有る“一里野温泉スキー場”である。ここには露天風呂“天領もありファミリーでも若いグループでも楽しめる。夏は“一里野音楽祭”も開かれ年中楽しめる高原である。


スキー場に入ると平日では有るが、大型バスが10数台も止まっている。案の定ゲレンデにはおそろいの黄色のウエアーの大勢の中・高校生が何校も来ていた。
それぞれに組み分けされスキー指導員の講習を受けている。その顔はとても楽しく、いかにも子供らしい顔をし、真剣に整然とレッスンを受けていた。 『これが本来の子供の顔だ』 最近のスキーの進歩は目覚しく、しかも短いので操作がしやすく大抵一日くらいで滑れるようになる。そのため昔みたいに転んで起き上がれない事はないしスキーも自然と曲がるように作ってある。(私には少し物足りないが)


雪質は思ったより良く締まり、整地されたゲレンデは滑りやすい。つい私も年甲斐も無くぶっ飛ばした。何と言っても、澄み切った山の空気は気持ちがいい。ゲレンデの途中に迷彩服を着た自衛隊(多分陸上自衛隊金沢駐屯地)の人たちがスキーの雪上訓練を上官指導員から受けていた。毎年見る風景であるがこれも平和な証拠かも知れない。


楽しくおいしい食事、帰りは雪に囲まれた露天風呂天領の湯”に後輩と現役の時のなつかしい話などをしながら、ゆっくりつかった。暮れゆく山麓にスキー場ナイターの光がひときは美しかった。 まさにこれ以上の幸せがない“極楽トンボ”一日であった。


☆白山麓一里野温泉(スキー場)の紹介HP http://hakusan-no-megumi.jp/hotspring/hotspring_detail.php?P=21    http://www.ichirino.com/

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★一口メモ
【旧尾口村現石川県白山市):県南部の白山麓に位置し、旧白峰村と並び日本有数の豪雪地帯である。昭和49年に手取川ダム(高さ153m幅420mのロックフィルダム)が出来多くの集落が水没、移転したが、その昔(養老年間より)は白山信仰の加賀禅定道の基点として多くの修験者が入り、後は柴田勝家の所領となり、越前国編入されたり幕府の天領になるなど多くの変遷を経て今日に至った。今は恵まれた自然環境を生かした観光や保養地として開発が進み、温泉や冬のスキーなど白山スーパー林道の基地としハーブの里として、自然の中で一日中楽しめて年中賑わいを見せている。
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★くつろぎの広場
・ほめられる、店で買ってる、化粧品
・世界一、怖い乗り物、体重計
・信用が、なくて借金、ない暮らし

                 (万能川柳より抜粋)
★歳時記
・春浅し、空また月を、そだてそめ  久保田万太郎



☆スマートなスキー場のレストハウス (撮影:2月7日昼)

☆ゲレンデ中腹から見る一里野
☆スキー場でレッスンを受ける子供達 (撮影:2月7日昼)