今日の昼は、表装教室(ブログ46参照)の新年会の昼食会がお寿司屋さんで開かれた。北陸はお米や魚がおいしい(ブログ17参照)したがって“お鮨”もうまいのは当然である。お寿司屋さんも多く、舌の肥えた北陸の人はおいしくないとすぐそこへは行かなくなる。 (ちなみに広辞苑によると“寿司”と書くのは当て字で“鮨”が正しいらしい。)
今日は近くの比較的人気有るお店に行った。駐車場のある裏玄関から入るとそこにはなつかしい“和傘”が飾られ、上がり口には引き出しのついた昔の四角い火鉢があった。中の座敷に入ると床の間には、直径1m以上もある大きな九谷焼の飾り皿(絵皿)さらに飾りだなには、一斗(10升)は入ると思われる酒瓶が置いてあった。
いずれも珍しい物であった。
食事も終わりに近づくと、先生の方からお年玉として額縁に入った、はがき大のそれぞれ違った三枚の作品が送られた。それは特殊な技法で作られ、黒地をベースに金・銀粉を使い宇宙をイメージした見事な作品であった。石川県は日本のほぼ全部(約99%)の金箔の生産地、それに先生は職人大学校の先生だ。作品は見る角度でいろいろ色が玉虫色に変わりとても不思議で味わいのあるものであった。是非ほしいと思ったが、20名近い参加者でくじ引きで結局もらえなかった。毎年頂けるみたいだから来年に期待すり事にした。
ところで日本各地の街角で見かける寿司屋さんは“回転寿司店”が多いが、この食品機械の半数以上が石川県で作られていると聞く。この機械を作る日本のNO.1企業もある。
そもそも日本ではじめて回転寿司店がオープンしたのは昭和33年、今から48年前だからかなり古い。1970年(今から37年前)大阪で開かれた“日本万国博覧会”で回転寿司が大盛況となり一挙に普及しだした。万博を機会に回転寿司と共にハンバーグ・ドーナッツ・フライドチキンなどの今人気のファーストフーズ店がアメリカより進出した。日本の回転寿司は、日本伝統の食に革命的な価格と価値を創造し広く普及し、現代の生活様式にもマッチしたと言える。機械もどんどん進歩し、別な食べ物でも作られるようになった。
しかしお寿司屋さんのカウンターで、威勢のいいお店の大将と世間話をしながら自分の好きな物を握ってもらうのもいいものである。『ハイ!トロ一丁』そんな言葉もマグロの世界での漁獲規制で少し食べにくくなるかも・・・今のうちに“鮨”(マグロのトロ)食べておこう
午後は、お鮨で満腹になり苦しいお腹を抱え、センターへその後仕事で香林坊の百貨店にむかった。
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★くつろぎの広場
・父帰る、娘出かける、妻眠る
・イチローを、越えた二浪(ニロウ)の、息子言い
・塩美容、そのまま寝たら、一夜漬(いちやづけ)
(某企業サラリーマン川柳より抜粋)
★歳時記
・串にさす、魚やはらかし(柔らかし)、寒の暮れ (桂 信子)
☆お寿司屋さんの裏玄関にあった和傘 (撮影:1月29日昼)
☆お正月プレゼント “宇宙”をイメージした先生の作品 (撮影:1月29日昼)