文明の進歩と昔の旅。 55

isikawanokinsan2007-01-24

東京からのお客さんを伴って、北陸の取引先の大手企業を訪問。
朝早く、金沢都心へそれから福井市へ、さらに北陸自動車道を金沢を経由し富山市へ数箇所市内を回り、婦中、砺波、金沢経由でとっぷり暮れた我が家へ、何と北陸3県を往復450キロを越えた一日であった。仕事で有るから精神的にも疲れ、家で少しのお酒を飲みブログを書いてる最中つい眠ってしまった。



東京からのお客さんを伴って、北陸の取引先の大手企業を訪問。
朝早く、金沢都心へそれから福井市へ、さらに北陸自動車道を金沢を経由し富山市へ数箇所市内を回り、婦中、砺波、金沢経由でとっぷり暮れた我が家へ、何と北陸3県を往復450キロを越えた一日であった。仕事で有るから精神的にも疲れ、家で少しのお酒を飲みブログを書いてる最中つい眠ってしまった。


車の運転は嫌いではないので、十年前位は神戸、水戸茨城県)間を一人で車を運転し700キロ以上を往復したことも有るがさすがに歳を感じた。
金沢から東京(江戸)へは約500キロ弱だから、車で一日で移動したことになる。昔は江戸へは“参勤交代”などで都度、数千人(多い時は4000人) が新潟(高田)経由で江戸へ歩いて行った言う、この道は『下街道』 と呼ばれメインルートであったらしい、富山回りの『北国下街道』や福井回り中仙道・東海道を通る『上街道』もあつた事はよく知られているが、地元の新聞によると、来年このルートを県ウォーキング協会が、江戸まで480キロを13日かけて歩く 計画と言う。私も出来れば参加してみたいが、1日40キロ歩く事もあるらしい。でも足が大丈夫か私は少し不安だ。(いつも鍛えてはいるが・・・・)
しかし昔の人は、旅行するのにでも一日30キロぐらいは歩いたようだ、女性の旅はさすがに昔は制限 (入り鉄砲と出女など)もあり少なかったようだが、1日25キロ歩いたと言う記録も残っている。

1日1万歩などと言っているが、現実の生活では半分がせいぜいだと思う。足は文明の発達と共に足はますます衰えて行く


昨年、中仙道を一人旅した時、名所などをめぐりながら、昔の宿場の旅籠(はたご)にとまり約1ヶ月近くかけて旅する男女15人くらいのお年寄りのグループに出会い少し話をした。今は海外にたくさんの人が行くが、『日本は安全だし、言葉や食べ物の心配も無いし、気心のしれたグループで健康の為歩いてます。』との事であった。このリーダーとおぼしき男性が、案内の看板にかいてある由緒書き『古文書』をすらすら読み解説していたのが私には『カッコよく』 印象的で、これが私が“古文書解読”を習うきっかけとなった。
『ところで、あなたは今日はどちらでお泊りですか?』 『いや、決めてないです。もう少し車と積んで有る自転車そして歩いて、日が暮れてからその辺で探します。最悪は“道の駅”(トイレや水、自販機も有る) でも車を止め寝ます。』 私の一人旅もかなり自由でいい加減であった。
“定年を迎え一区切りついた”からこそ出来たと言える。
男はいつまでも子供の時の夢を追う動物だと言われ、女性は現実的と言われるが、それでいいではないか、・・・・

私は当面海外はお預けにして、日本の歴史や文化をもう少し親しみ、勉強してからにしたい、まず我がふるさとの良さをもっと十分に知りたい。

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★くつろぎの広場
・この道は、坂だったのかと、気づく歳
・始末書が、うまいと見本に、使われる
・負けて勝つ、そんな勝ち方、したくない
                                    (万能川柳より)
★歳時記
・冬ぬくし、海をいだいて、三百戸  (長谷川素逝)



☆現代の旅、北陸高速自動車道 (撮影:12月23日)

☆旧街道がつづく中山道の宿場 (撮影:2006年6月16日)