古い町並みには和服も洋服も似合った。 49 

isikawanokinsan2007-01-18

今日は、からしぐれ模様でさえない天気だし、まだ風邪が治りきってないので、スキーの誘いを断り、昼と夕方に少し町に出た程度であった。
もっともスキーと言っても、家からは近く天候を見て2〜3時間だけ滑って帰る事が多いから、無理することはない。いつでもいける、この事だけはスキーの好きな私には幸せだ。


チョット町に出かけた時、小雨の中を和服の中年女性が、少し濡れながら足早にバス停の方に向かっていた。後ろから声を掛けようか一瞬迷っていると、別な女性が傘を差しかけた。(残念!)追い抜く時チラッと顔を見ると、決して美人ではないが、少し濡れた髪の毛から雨の雫が落ちてるのが、何とも言えない女らしい色気を感じた。(古い!でもオジンと言わないでくれ)


金沢の町は昔から“学問の町”と言われるだけあって学校も多く、大学生や若者も多い、特に日曜日などはかっこいい若者が町にあふれ、私はそれを見るのが大好きで有る。(ただし変態オジサンではない)それぞれに最新のファッションに身を包み、町をぶらぶらしている。本当にかっこいい、あまり似合わない人もいるが、おおむね誰からも若さが伝わってくる。何といっても若さの特権“オシャレ”である。


この間の日曜日、香林坊の近くに有る広坂通りのレンガ造りの“石川近代文学館”(旧四高の校舎=金沢大学の前身で東京に次ぐ日本で二番目の総合近代文学館)のベンチに足を投げ出し座っていた、シャレたジーンズ姿の若い女のファッションがとてもレンガ造りの建物とマッチしていた。思わずカメラで撮ろうとしたが、いや待て待て、下手に写すと今の世の中、どっかの盗撮で捕まったオジサンと同じにされてはとやめた。本当にやり難い世の中だ。したがって私のブログの写真には若い女性がほとんど写ってないし、それに妻や息子たちから 『お父さん、定年後何をしてもいいが新聞に載ることだけはやめて』 ときつく言われている。


そこからしばらく兼六園の横を通る広坂を上り、“県立歴史博物館”へと向かった。このあたりは金沢の文化施設が密集している所で、この博物館も旧陸軍の兵器庫から“金沢美大そして今の施設となった。明治・大正時代の二階建てのレンガ造りで周りの木立の緑に映えなかなか雰囲気のいい所だ。

ここで今度は和服姿の中年の女性の集団と合った。お稽古事の帰りかしきりに話をしている。なんとなく周りの中でよく似合っている。少し年配だが、小股で歩く後ろ姿が又何とも昔の女性らしくていい・・・(道草してしまい博物館へは遅くなり入れずじまいだったが、この日は何ともラッキーな日だった。)

着物は洋服と違い体の線を隠すので日本人向きで誰でも上手に着るとやさしさとか美しさをを表現できると聞く。(日本の奥ゆかしい隠す文化)但し機能的ではないので着るのは大変だと思うが、昔の女性は全部着て生活していた。
今は、たんすの中で一生眠っている着物も多いと聞く。ゆとりが出来たらたまに気分転換で着てみるのもいいのでは?・・・・(まだ風邪熱が有るのでない?あんたは極楽トンボみたいな男だから・・あんたハカマはいて生活したら)と言われそう。

金沢のような古い町並みには和服だけでなく、男女限らず、センスのいい洋服も十分似合う事を知った。
(ちなみに金沢の町は古くからの加賀友禅が有名で、和服で町を歩くと、一部のお店などで買い物すると時など割り引きが受けられる制度がある。)

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★くつろぎの広場
・美しい、嘘ふくらまし、プロポーズ  〈男〉
・ここからが、女の武器に、ある打算  〈女〉
・七人の、敵よりこわい、妻一人    〈夫〉
・家計簿を、つければこける、亭主連  〈妻〉

                     (男と女の辛口川柳より抜粋)
★歳時記
・冬着縫ふ、母の着丈を、少し詰め  (橘 彰子)




☆明治・大正時代の面影を残す県立歴史博物館 (撮影:1月14日夕)

☆和服が似合う金沢の町並み (撮影:1月14日夕)