文弥人形も悲しむ、消え行く山里。 48

isikawanokinsan2007-01-17

先週で新年の親戚や取引先の挨拶回りがひととおり終わり、少し気が緩んだせいか、週明けからやや風邪気味で、今日は外出も最小限にして自宅で資料の整理などをして過ごした。


昨日の続きを書こう。
先生がせっかく東京から来られたので、一里野高原温泉スキー場から程近いところに、“国指定重要無形文化財 『文弥人形浄瑠璃(でくの舞)』 の村へ案内することになった。瀬女高原(せな)スキー場の前にある『道の駅瀬女』を通り、157号線を福井方面進むとすぐ、手取川ダムの手前右手山側にあるのが、戸数18戸の“東二口集落”である。
この集落のリーダーを長くつとめ『東二口文弥人形浄瑠璃保存会会長』の道下さんに我々は特別に案内してもらった。
現在『文弥節』(ぶんやぶし)と称する人形浄瑠璃は日本で4箇所しか残っておらず、新潟県佐渡市・宮崎県山之口町・鹿児島県薩摩川内市(旧東郷町)そしてここ石川県白山市(旧尾口村でしか残ってない、昔の庶民が楽しんだ娯楽を伝える古風で貴重なものである。
しかし娯楽の多い現代においては、次第に人々の中から忘れさられようとしている。


今からおよそ350年ほど前、村の若者が学門の傍ら京都・大阪に出向き、当時流行していた人形浄瑠璃を習い覚え、村に持ち帰ったのが起源と伝えられ、その面白さに、酒やバクチに明け暮れていた村の人もその後一切賭け事もやらなくなり娯楽として楽しみ、今に伝えたと言う。 この伝統を今も必死にわずかな人数で守り続けているのが道下さん達である。
しかしながらこの集落は、昔は地すべり地帯でもあり明治以後、村民は北海道に集団移住したり、昭和48年(30年前)暴れ川、手取川の治水と発電を目的に“手取ダム”が作られ一部が水没したりで、過疎と高齢化が進み、今は65歳以上のお年寄りが半数以上と言う。『まるで何年後かの日本の縮図みたいな所です。』と道下さんも苦笑しながら話していた。
『でくの舞』を上演するには最低20名ぐらいは必要だが、今は70歳代から高校生まで含めても15名がせいぜい、演目も最盛期は『酒呑童子』・『源氏烏帽子折』など40演目あったが、今はせいぜい6演目しか出来ず今日に至っている。

人形の操り方は難しく一人前になるのに10年はかかると言う。今後、後継者も次第にいなくなるだろうと語る顔が心なしかどこか寂しそう・・・・・
いろいろと中で説明してもらうと、昔の庶民の娯楽の雰囲気だけは何だか伝わってくる。

『東二口歴史民族資料館』 を後にし、雪に埋もれたこの小さい集落(これでも今年は極めて雪は少ない)をみて回った。家々はすごく大きく丈夫に造られているし、必ず“蔵”が横に有る。蔵の棟(屋根の上部)の壁に立派な“鏝絵(こてえ)”が施されている。鏝絵とは昔の壁職人が自分の腕を自慢して外壁の上部に龍・鶴・亀などの壁画(像)を描いた物今では貴重なものである。
しかしここ数年でかなり取り壊され、又今後数年で取り壊す物も有ると言う。何とか残したいが過疎が進みどうしょうもないとの事。誰でもいい、ここに新しく住み着いてくれたら・・・・と話す。壊すのは簡単だが、町(村)並みを保存するのは容易ではない。


今、日本人は大量に海外旅行をする。しかしその割りに日本を訪れる外国人はまだ少ない。
ビルの建ち並ぶ日本の姿はもう古い、“文化の香りの高い、豊かな自然に恵まれた日本”を海外に広く紹介し本当の豊かな日本を知ってもらうことだと思う。
そのためには、政府も自治体も地域住民も“ふるさと日本”の足元もう一度見てみるべきと、帰り道ひとり思った・・・・

(定期公演は毎年2月に4日間だけ行われる。今年は2/10.11.17.18日入館料無料、)
※『文弥まつり』詳しくはHPで確認下さい・・・・ http://www.gogo8934.jp/

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★くつろぎの広場
・家中が、買い物上手で、貯金なし
・されてない、けど取られる、サービス料
・乗れば人、歩けば車、じゃまになり

                  (万能川柳より)
★歳時記
・寒の雨、松の雫を、まじへつつ  (佐野青陽人)





☆“文弥人形”と“でくの舞”会場・民家の蔵に残る“鏝絵(こてえ)” 
(撮影:1月16日)