日本のスーパースターの里を訪ねて。 39

isikawanokinsan2007-01-08

現在の日本のスーパースターと言えば、我が郷土出身NYヤンキース松井秀喜だろう。
お正月はふるさと根上町(現能美市)に帰り、年末は金沢駅前に有る“県立音楽堂”で行われた『カウントダウンコンサート』で音楽界では定評の有る、『オーケストラアンサンブル金沢指揮自身の応援歌披露したり、その動向は地元新聞を連日賑わした
昨日東京に帰ったとの新聞記事が目に留まり、午前中、溜っていたメールの返信を済ませた後出掛ける事にした。(これが私の落ち着きのない悪いところ)


私の自宅からは、小松方向に向かい車で約30分弱で松井の故郷、旧根上町に着く。今日は雪もないので軽四で(カーナビのお姉さんはいないが、近いところはこれが便利)向かった。
旧根上町は取り立てて言うほどのものは何もない、海のそばの近い小さな集落JR寺井駅を過ぎ海に向かい走る頃から、ところどころに松林が目に入った。しばらくすると、松に囲まれた神社が目に入り車を止めた。
この神社“村社 浜開発八幡神社と書いてある。しかし境内にはご神木の“根上の松”があった。このあたりは古くは北陸道(ほくろくどう)の要所で源氏・平家の角逐の街道となり、鎌倉時代『木曽街道』木曽義仲にちなんだ街道名)と呼ばれこれにちなんで『根上』と呼ばれるようになったと、記されてあった。
広い道路が前を走りあまり面影が少ないが、それでも松がところどころに見える海岸のいい町である。


しばらく広い道を行くと、工場の横に“道林寺跡、弁慶謝罪の地”の看板が目に入ったのでたち寄った。(松林から吹く冷たい浜風が強く、手は寒さでかじかむ)
この辺は小松市安宅の関に近く、あの有名な義経・弁慶・富樫勧進帳の舞台でも有る。あの当時の“スーパースター義経一行が無事“関所”を通過し、この時弁慶が主(義経)を金剛棒で打ったため、この地に来て詫びたと言う。『主従の、あつき涙や、春しぐれ、』句碑が目に入る。文治3年(今から800年以上前)2月10日だったと言う。
しかし、これは義経が当時のスーパースターでしかも“悲劇のヒロイン”であった為、奥州藤原秀衡を頼り『北国落ち』した時を、いろいろ重ね合わせ作られたものであり、謡曲で有名な勧進帳などは史実に基づかない“創作”と言われている。
昔も多くの“スーパースター”が登場し、聖徳太子・弘法太師など、北陸では白山を開いた泰澄太師なども、その代表であろう。源義経(牛若丸)と弁慶”それにあやかった数々の伝説各地に残り、美化され(判官びいき)今に伝えられている。


突然のどかで広大な畑の中に、一瞬まるで米国ホワイトハウス(行ったことはない)にでも来たかと思う建物が眼に入った。駐車場もすごく広いし豪華だ!
これが松井秀樹ベースボールミュージアムである。1〜2度そばを通ったことはあるが、一度機会があれば中に入ってみたいと思っていた。(入場料300円、原則内部撮影禁止)
玄関に入ると、制服で固めたガードマンが、松井の大きな人形の前で、優しく写真を撮ってくれた。
中は見学の人も多く、松井選手の栄光の数々写真・表彰状・記念品・使った野球道具などが展示されグッツの販売コーナーも有る。良くもこれだけのものを集めたものだ・・・『僕には夢が有る』 『日本海のような、広く深い心と、白山のような強く動じない心、僕の原点はここに有る』 と大きく書かれてあった。

彼は子供の頃から体が大きく、小学5年生の頃まで柔道をしていた事を知っている友人は、この時から体がずば抜けて大きく目立つたと言う。(小学6年生で172cm
それ以後彼は“野球一筋”で、その素質と努力で、あの星稜高校時代甲子園で5打席連続敬遠によりその名を全国に知らしめた。野球の名門『巨人』 での活躍、現在のNYヤンキースでも活躍している事は改めて書くまでもない。
お父さん“昌雄さん”も、最近では“プロ歌手”としてデビューし松井とともに地元では、良く知られるようになった。
昔のスパースター義経伝説の残る旧根上町。こんな海沿いの何もない片田舎から“現代のスパースター松井秀喜が誕生したのである。
昔と今のスーパースターの対峙する町根上町(現能美市)が面白い。
今日はまたふるさとで再発見した。

ちなみに私は、子供の頃は王・長島が好きで『巨人』 社会人になり大阪府八尾市に住んだ時は、西本監督(敗軍の将)率いる『近鉄』 神戸に住んでいる時はイチローのいる『オリックス』 大阪平野に住んだ時は『阪神』(トラキチの仲間) とどちらかと言うと住んでる所の“地元ファン”である。 (かなり気まぐれ)
現役選手では松井も好きだが、“イチローだ、マスコミにこびる事なく、我が道を行く姿が好きである。
あくまで自分に厳しく挑戦する、秘めたる男らしさを感じる。

私が神戸に住んだ当時、彼が関西で初めて西武“松坂”と対戦した時、(神戸グリースタジアム) 松坂に3打数ノーヒットで抑えられていたが、次の投手からはきっちり100号のメモリアルアーチを放った。この時の事が目に焼きついている。(今でもこの帰りに発売された時のテレホンカードを持っている。) ちなみにこの試合で高めのボール玉ではあったが、松坂最速153キロを記録し、一瞬球場がどよめいたのも懐かしい。

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★くつろぎの広場
・肩書きは、びっしりあるが、暇みたい
・不器用で、死球まともに、くらう父
・ひまつぶす、計画練って、ひまつぶし

                  (万能川柳より抜粋)
★歳時記
・冬の日の、さし入る松の、匂ひかな  (暁 台)




☆根上りの松と道林寺の弁慶謝罪の地に立つ義経・弁慶像 (撮影:1月8日)


☆スーパースター“松井秀喜ミュージアムとその内部 (撮影:1月8日)