“歴史”は“推理小説”より、メチャ面白い。 38

isikawanokinsan2007-01-07

昨晩から、雷鳴、鳴り響き強風が吹き荒れる天気。それにしても“北陸の冬雷”は並みのものではない、我妻も関西から嫁いだ年は怖くて泣いたとか、(そんなしおらしい時もあったのだ・・・) 
午前中は強風をついて畑へ、大きなり過ぎた大根を取りに行った。冷たい風が吹き荒れ飛ばされそうになったし大根を洗う川の水は手を切るように冷たかった。


午後は近くの図書館へ行った。まだ正月なのか、意外に人は少なかった。
私は最近子供のコーナーへよく行く。今日も、“おとぎ話の本”を見ていると、『おめでとうございます。お孫さんの本?』 どこかで見た年配の女性から声を掛けられた。『う〜ん、うちは孫はまだ、』 と答えると、けげんな顔をしていた。
私は“歴史”が好きで有る。好きになった動機はいろいろ有るが、今はものすごく“豊かで便利な世の中”になったが、電気もない時代、『昔の人はどんな暮らしをしていたのかなあー、楽しい事はあったのだろうか?』 これがきっかけで、主に昔の民俗学(昔の庶民の暮らしなどを調べる)に関心を持つようになった。
歴史『知れば、知るほど分からなくなるよ、』と先輩達が言っていたがそのとおり、今生きている人は、誰もその時代を生きたわけではない。
文献や伝承(言い伝え)から、こうで有ったのではと、専門家の先生たちが文献や小説にしたもの。従って歴史上のヒーローの一人聖徳太子(先日行った法隆寺を創建した人)ですら実在したのか怪しい、と言い出す先生も現れる始末だ。
ましてや私みたいな素人は、『真実はどれか?』ますます混乱する古今東西あらゆる角度から“謎解き”が始まるが、結論は出ない。へたすればますます迷路に入り込む事になる。


私は今はまったく推理小説は読まないが、妻は推理小説が大好き、作者により読んでいると途中から推察がつくらしい。この辺が違うところであると思う。

『日本書記』などの古い歴史書(文献)だって、ある部分や角度から見た当時の“昔の人”が書いたものであり、すべて真実を公平に書いて有るとは限らない。もし私が“天下を取り”世の中を思うように支配出来たら、私はきっと自分はすばらしい人で有ったと“後世に書き残す”(書かせる)であろう。悪い部分は抹殺し、ライバルを悪者にするだろう。
その意味では今一般的に語られるのはほとんどが“勝者(勝ち組)の歴史”だとも言える。だから別な角度(例えば敗者)から見た歴史上の諸説も出てくるのは当然であろう。
(そもそも人間は『すべて善良な人もいないが悪人もいない』と思っている。)

そんな事から、おとぎ話・昔話し・伝説には数多くの“当時の庶民”が伝えようとした事などが含まれていることも多い。参考までに竹取物語に出てくる、おなじみのかぐや姫 当時は藤原一族が都で栄華をきわめていた時代 『多くのお金持ちの貴族に求婚された“かぐや姫”はそれを振り切って月に帰って行った』 当時の庶民のささやかな反抗であろと言われている。

最近はやたら世の中が難しくなり“ストレス”がたまる。あまりに何でも制度化され、複雑化し過ぎだと思う。だから兄弟が殺しあうような悲惨な事件も増える。『もう専門家ばかりは要らないよ、もっと気楽にやろうよ、』
その点、小さい子供の本“ひらがな”が殆ど(むずかし文字は“かな”がふってある)字も大きく読みやすく絵もきれい、何故か疲れない。しかし内容は思った以上にしっかりしている。高校卒業で問題になった『世界史や日本史』などはこれで十分、理科なども大人でも十分楽しい。まずは面白いと感じ、興味がわいてくる事が大切だ。一度図書館で“子供の本”を読んでみるのもいいだろう、きっと面白いと思う。


ところで、今朝の新聞にのっていたが、某政府要人が記者会見でやたら“英語ばかりで話す”ので記者は大変だと多少皮肉をこめて書いてあった。若手政治家の超エリート、経歴は皆知ってるよ、でもここは日本、『さりげなく隠す』のも日本の文化だ。
そのうち、ギター侍に切られるよ。『・・・あんたやっぱり怪人(外人=がいじん)だ!』
                (これ俺たち庶民の、せめてもの反抗ひがみ

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★くつろぎの広場
・俺はみのもんた。午後は○○! みのもんただ。
お嬢さん気をつけて!料理は油控えめに・・・・っ言うじゃな〜い?
でもあんた、顔から、油吹き出してますから!
                      (ギター侍の書 波田陽区より)

★歳時記
・熱燗や、手杓いかしき、一二杯  (久保田万太郎

 
 
☆近くの文化ホールとお正月の図書館内部 (撮影:1月7日午後)