守ってほしい、”世界遺産“ いにしえの奈良の都。 35

isikawanokinsan2007-01-04

私は奈良で一年あまり勤務したこともあり、今でも時々奈良に来るときもあるが、奈良は“都市”として最も古い日本の都である。
日本で最初に世界遺産に登録された法隆寺を始め、数多くの文化財にあふれ、うらやましい所でもある。遠くに大和三山香久山を望み、ひときわ高い金剛山葛城山へと連なるのどかな気候穏やかな盆地でもある。
今日朝、親戚の家を出ていつも散歩に出かけた。
池(奈良は大和郡山など特に池が多い)の周りを散策がてら歩いた。晴天の日、池に釣り糸をたれる人、犬を連れて散歩する人も多くのどかな風景であった。

午後から昔の友人と会う前、せっかく来たのだからと斑鳩(いかるが)の里“法隆寺へ向かった。
お正月にしては人はさほど多くはなく、観光バスなどの団体もまばらであった。
4〜5回は来た事があるが、今回は一人、寺院前の松の並木が寺の雰囲気とも溶け込み、なんとも言えない風情をかもし出していた。
境内に入り何とも言い尽くせない“建築美”にうっとりする。こんなに素晴らしいとこがあったのだ!何か知らないが自然に心安らぐのを覚える。意外と若い人も多い、子供も居るが、このときばかりは極めて静かで仏像などを見ている。
神社仏閣とは何かしら”心のくつろぎ”を感じる。だから若者や子供も、信じられんくらいおとなしい
これはまさしく寺院のかもし出す“雰囲気”だ。
心の落ち着いた雰囲気ではきっと“子供の心”も安らぐのだろう・・・・
昼飯も忘れ、なつかしの友人との待ち合わせも忘れ、ゆっくり境内を見て回った。素晴らしい!、どうして今から千年以上も前、これだけの“美意識”があり、これだけのものが造れたのか?・・・・・
今までは何回来ても”古い寺との認識”ぐらいで、この事は感じなかった。しばし“いにしえ(昔)の都”の暮らしを想う。・・・・・(私も自分自身が確かに変わったと思う。)

友人達と久しぶりに会い話も弾んだが、私は早く近くにある“日本で最初の都、平城京に」行きたく早めに分かれた。(先輩、同僚ご免)
しかし大渋滞に阻まれなかなかたどり着けない、心はあせるが車だけはどうにもならない。
奈良は京都と並び、碁盤の目の様に道はなってると思うかもしれないが大違い。道は曲がりくねって細く、大都市のように、人がたいして多いわけでないが、渋滞はひどい。
しかしこれは、必ずしも複雑な地形や、文化遺産保存町並みを保存する為だけでもないようだ。
この町(奈良)は『人国記』に出てくるように、昔から『この国の人は人の気大形、名利(みょうり:名誉と利得)を好むもの多し、』 この地は自己の権利をことさら主張する人が多く、さらにここ数十年前から大阪のベットタウンとして、新しい人が移り住み急速に発展し、これに輪をかけたと思われる。
したがって、何をするにも“我が権利を主張し”なかなか新しいことが出来ないので、いつしかこれだけあり余る文化遺産を持ちながら、京都とは違い何か覇気少ないように思う。
私の先輩・友人の最も多く住む県であり、決して悪く言うつもりはないが、北陸(石川)に見られるような、地域ぐるみの、村(町)おこし等の文化・遺産に対する住民の意識(熱意)が 今一低いと言わざるを得ない。
その例が次に行った平城宮跡である。日本の最古の都(ふるさと)であり、世界に誇れる遺産であるが、周辺には工場が建ち、大型ショッピングセンターのネオンが輝き、しきりなしに通る電車の音、周辺の道路は大渋滞、しかし境内の朱雀門はライトアップされているものの、人影はなく、バイクがけたたましく走り回るだけ。(もっと周りの景観を考えた町づくりが出来なかったのか・・・・)
『あおによし、ならの都は咲く華(はな)の、薫(におう)がごとく、今盛りなり。』の碑が一層の寂しさをさそう。
『日本最古の都、奈良』 古墳も数多くある、奈良県人だけのものではなく、『日本人の心のふるさと』 多少遅きに失したが、これからも、ちぐはぐな開発を再度見直し、一本筋の通った町つくりを、守ってほしいと願った。
私も文化財保護のため、わずかながら“志”をさせてもらった。
 (ふるさと石川も、これからもそうあってほしい。)

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★くつろぎの広場
・年始帳、名までよろける、いい機嫌  
                  (江戸川柳より)
★歳時記
・いささかの、塵(ちり)もめでたや、事始  (森川暁水)




☆現存する世界最古の本格木造寺院“法隆寺”の境内 (撮影:1月4日昼)

☆いにしえ(日本最古)の都跡、平城宮朱雀門 (撮影:1月4日昼)