“金沢のお正月文化”よもやま話。 33

isikawanokinsan2007-01-02

今日は午後からたまに小雨がぱらつくことは有ったが、暖かく夜はお月様が、雲間から覗く比較的穏やかな日だった。午後から、実家や親戚に顔を出し“大根寿司”談義に花を咲かせた。
我が家も、今年はまあまあおいしく出来たので、ずいぶん知り合いにもあげた。

ところでお宅の鏡餅は『何色』?
当然『白』だろう。一般的には、これが全国の普通の答えで有るが、我が石川(金沢)では『赤』と『白』を重ねる。地元では当たり前なことだが、それぞれの地区にはこんなことが多い。これを発見する事がとても面白いのだ。
金沢のいつもの正月の風景に、金沢ならではの昔から引き継がれた文化と伝統が息づく
北陸(金沢)の文化を知る上で一番分かりやすいのは、お雑煮の中に入れる“餅”だと思っている。私の家は角餅だったが、丸餅を入れるところも有る。
金沢は地理的には京都・大阪と近くその昔京都が日本の中心で有ったこともあり、京文化の影響が極めて高い、一方加賀藩は江戸時代になり外様大名として生き残るため
1601年(関が原の合戦の翌年)人質、芳春院まつ(利家正室)に対し、三代藩主利常の正室に徳川家から幼少の玉姫(二代将軍秀忠の二女)が輿入れした
当然、数百人の付き人が江戸から移り、石川門の近くに江戸町をつくった。この時江戸から角餅(主に東日本に多い)が入った。それまでは丸餅だったが、金沢の旧市内を中心に今でも一帯は角餅が多く、他方能登や福井に近い加賀では西日本に見られる丸餅が多い、又汁や具も金沢は醤油文化から、“すまし仕立て”、福井などは関西風の、“味噌仕立て”が多いと聞いた。「となり雑煮」などとも言われそれぞれの家によって違うらしい。ちなみに丸餅は本来、神を表す太陽と月を形どった鏡餅として備えられたもの農耕文化と深く関わっているらしい。


私は食については良く知らないが、とにかくお雑煮だけでもこうだから、研究すると結構面白いと思う。昔のお正月は一大行事で、期間も暮れから数えゆうに二週間以上、お正月準備だけでも大変、下級武士の家でも、食費は軽く10万円以上は掛かったみたいだ。
詳しくは武士の家計簿参照すると良い。又江戸時代加賀藩では、むやみに森林の伐採を禁じた為、門松がなかったとか紅白の鏡餅に見られるように百万石を誇示するためか、見かけ上の“かっこつけ”が多かったようだ。(だから今でもその名残か、金沢人は一般に格式を重んじプライドが高いと言われる。)

その他金沢では正月菓子『福梅』『かぶら鮨』『フナの煮びたし『地部煮』など『保存食』海の幸・山の幸をふんだんに使ったものが多い。遊びでは今は、イベントなどでしか紹介されないが『旗源平』(簡単な日本版チェスみたいなもの)なども私の小さい頃盛んだった記憶が有る
いずれにしても北陸・石川は地形上、(日本列島の真ん中) 自然・動植物・あらゆる伝統・文化(京文化・江戸文化など)が混ざり合い、多くのものが発見できる不思議な地域で有る。


朝の息子との会話、私、『俺の兄貴は毎日、俺のブログ(日記)見てるらしいけど、よっぽどなんやなあー』 息子、『俺はそれを書く人の方がよっっぽど暇だと思う。』 『・・・そう言えばそうかー』妙に納得。
その息子も今日帰り、我が家は又、もとの二人と一匹(老犬、ムク)の老人ホームに戻った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★くつろぎの広場
・うちにいた、貧乏神は、飢えて死に
・いるんだよ、必ずハジに、座る人
・かの姉妹、胸かお尻か、わからない

                  (ぼけせん川柳より)
★歳時記
・一月の、陽あたる畑や、風の音  (大谷句仏)



☆ご近所の手作りの門松  (撮影:1月1日朝)

☆近くの田んぼで凧揚げで遊ぶ親子 (撮影:1月1日昼)
 
☆お正月菓子“福梅”と“旗源平” (郷土資料より)