『白山登山から帰った。』は、“黄泉(よみ)の国”から帰ってくる事

isikawanokinsan2006-12-25

金沢ではナント平年より23日遅れの、初霜・初氷を観測、確かに朝だけ少し寒かった。
このところ北陸は珍しい穏やかな暖かい日が続く手取川沿いから白山連邦が良く見えるが、近くの山々は黒い緑の杉林が目に付く。
今日、私が以前働いていた会社の支店長の奥さんが亡くなり、お通夜に出掛けた。
まだ43歳、式途中から周りですすり泣きが洩れる。人間いつかは死ぬ事は分かっていても、近しい人の死で改めてそれを知る。
謹んでご冥福を祈り、お悔やみ申し上げたい


実は私も今年、自分の墓を建てた。(次兄も私の横に一緒に建てた)今はを建てる人の約4割近くが生前だと聞く。次の住む家(1坪の一戸建て)を作った感じで軽く考えての事である。
よくわれわれは“あの世”と言う。
温泉(この白山麓にも多い)で一風呂浴びて帰りに『ああーいい湯だった、よみがえったみたいだ』とも言う。
ところでこの“よみがえり”(蘇り・甦り)実は“黄泉(よみ)の国か帰ってくる”事を言うらしい。
“黄泉の国”とは死霊の住む冥土、の事をそう呼ぶ。ヤミ(闇)とかヤマ(山)の言葉が転じたらしい?
“あの世”と“この世”の境を“結界”と呼ぶ、“三途(さんず)の川”とも言われる。ところでこの山麓にはこの場所がある。(ほんとかいな?)
白山は昔、霊の住む山として長きに渡り信仰の対象だった。だから富士山や立山と並び日本三霊山として知られる。(日本の多くの山は、昔、神や霊が住むと信じられた。)
白山の“結界”それは白山スーパー林道沿いを流れる手取川の支流“尾添川”(おぞがわ)ここに中宮(白山中スキー場がある)の村がある。この川に昔、白い布で覆われた“結界橋”があり、対岸は白山の山頂へと続く“加賀禅定道”があった。
白装束(死者の服)で身をまとい、金剛杖を持った修験者達が山に向かったところで有る。(くれぐれも話題になったパナウエーブ研究所と混同しないように)
深い谷が春は新緑に覆われ、秋は紅葉のすばらしいきれいな所で、尾添の集落(一里野温泉スキー場の有るところ)には今でも白山の下山仏(十一面観音菩薩阿弥陀如来など)がある。
この下山仏は明治政府の廃仏希釈(はいぶつきしゃく)による破壊を辛うじて免れ、ひそかに村に隠されていたもので有る。(白峰集落の林西寺でも見られる。)
つまり“よみがえる”(甦る)は“黄泉の国”から帰るに通じ、一度死んで再び帰って来ること、その事によって『健康で長生きが出来る』に通じると言われ、生前に墓を立てる事も同じ意味を持つ。浄土真宗はじめ仏教の教えではあるらしい。
南無阿弥陀仏・・・今日はクリスマス『アーメン』

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★くつろぎの広場
・母と子の会話
  『あんたの通知簿、相変わらず駆け足しているね』 『どうして?・・』 『12、12ばっかり、まるで年末みたい、』
                   (笑いの研究、昔の駄じゃれより)

★歳時記
・冬川の、末はひかりと、なりにけり  (谷野予志)



☆霊峰白山の雄姿 (撮影:12月25日夕)

手取川の流れと甦りの山、“霊峰白山”(撮影:12月25日夕)