名古屋荒子観音寺と飛騨・白川街道を走る。 23

isikawanokinsan2006-12-23

名古屋駅の親戚で一泊、今日は“霊峰白山”岐阜県側のふもと“白山長滝滝神社”を通りふるさとへ帰る予定で10時過ぎに一宮インターに向け出発した。
帰り際に義兄が、友人で名古屋市内の前田町、前田橋のほとり前田公園付近に住む前田さん、の話をしたのをふと思い出した。
ひょっとして、前田利家の出身地荒子町”荒子城跡)の近くではないか、すぐ調べてみた。案の定、荒子観音などの有る中川区荒子町付近であった。(利家は滋賀県近江の漁師の子孫との説もあるがここでは一般的定説とする。)
すぐに引き返し、海側へと車を向けた。
こんな時は一人旅は便利だ。しかし、私は名古屋市はあまり知らない。でも大丈夫、私の車にはいつも若いお姉さんが乗っている。道を間違えても文句も言わず親切にエスコートしてくれる。どんな寂しい山奥でも一緒、『この先5キロ、道なりに真直ぐ』『はい、わかりましたよ』妙にこちらも素直になる。そうカーナビのお嬢さんだ(妻はおばさんだと言う、お前は何をアホみたいなこと話しているんだ、友の声が聞こえそう・・・・)
荒子の町は、名古屋市内とはいえ道は広いが金沢の町とさほど変わらない、少し田舎の臭いを感じる。川や運河(用水)なども多い、聞いた事の有る荒子観音寺”に行くことにした。
荒子公園に車を止め境内に入った。ひっそりしのどかな下町、お年寄りが時々お参りに来る。
多宝塔の形が何とも良い、前田利家が大名になる前(4百年前頃)戦場に実際に着ていた甲冑が、この寺の裏から3〜4年前見つかった、と記されてあった。
ここは又、円空(美濃の生まれ、天台宗の僧、多くの木彫仏像を刻んだ)の仏が祀られ、作仏の時のアトリエとして使われたらしい。(円空については『笑いと健康』を書くとき触れる。)
寄り道をしたので急いで岐阜の方を目指した。途中の昼食は名古屋名物きしめん
金華山のふもとに広がる岐阜の市内を左に見て、東海北陸自動車道を一路白鳥を目指して走る。いくつかトンネルをくぐりと“美濃”と言う字が目に付く、ここは“美濃和紙”で有名だ。
思うとすぐ脱線し、又ここで下りた。“うだつ”(軒の瓦飾り)のあがる古い町並みを散策、山里のゆったりした古い生活が伝わってくる風情ある街だ。
次第に暗くなり小雨の降り出した飛騨街道を進んだ、目的地に着いたのは4時頃、山に囲まれた白滝白山神社は人一人いない、横を走る国道は帰りを急ぐのか、スピードを上げて車が通り過ぎる。こんな由緒有る神社に誰もこない・・・・
うっそうとした杉林に囲まれわずかに雪が残る境内を、一人昔を偲びつつ歩いた。神社の本殿の付近は、今年春行った熊野本宮に似ていた。この奥にさらに白山に近い白山中居神社(天然記念物、いとしろの大杉は有名)が有るが山の日暮れは早く、もう真っ暗、残念だが今度にして156号線を長良川沿いに先を急いだ。真っ暗な御母衣湖湖岸からスキー場の光か所々山間が明るく見える。
峠にはうっすら雪が残る飛騨街道から白川街道へ世界遺産白川郷の村は、この夏ガイドでお客さんと来た時のあの混雑はどこへやら、ひっそり静まり、独特なつくりの障子窓から僅かに薄明かりが洩れる。人一人にも出会わない。これが山奥の村の本当の姿か・・・
遅くなった、家路へと車を急がせた。

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★一口メモ
・白山長滝神社:(はくさんながたきじんじゃ)加賀の本宮白山に対し中宮白山と呼ばれ、古くから太平洋側、美濃国白山信仰の拠点“美濃馬場”として栄えた古社。又養老元年(約1300年前)白山開祖と言われる“越の泰澄”(たいちょう)が“長滝寺”(ちょうりゅうじ)を造営したとも伝えられる。最盛期鎌倉時代には僧坊も360を数え、僧も数千人が住んだと言われ、今でも毎年1月6日の“花奪い祭り”で知られる。

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★歳時記
・さむきわが、影とゆき逢ふ、街の角  加藤楸邨



☆“うだつ”のあがる美濃の町並み (撮影:12月23日午後)

白山信仰の歴史を伝える“白山長滝神社”の境内 (撮影:12月23日夕)