初冬の立山連峰と、残したい散居村の里を行く

isikawanokinsan2006-12-14

仕事で越中)富山に行くことになった。金沢市の山側に今年開通し、国道8号線と平行に走る外環状山側幹線道路から北陸自動車道に入り、一路、富山に向けて走った。
市内を抜け、しばらく走ると県境のトンネルをくぐる。
この辺一帯は倶利伽羅峠と言い、その昔源氏の木曽義仲が有名な“火牛の計”の角に刀を束ね、尾い葦を結びつけ点火し、夜に乗じて敵に放ちやる奇策)で平家の大軍を破った、と言い伝えられている場所である。
木曽義仲が、その後上洛するとき通った石川県にも、いろいろとこの時の伝説が多く残っている。)
トンネルを過ぎると富山県小矢部市だ、どこかで見たような建物や像が、すぐに目に入る。東大安田講堂、ワシントンの議事堂、自由の女神像いろいろある。この街は『メルヘンの街』として、主な公共施設がそっくりに造ってある。(見どころのひとつ)
さらに走ると、やがて広い砺波(となみ)平野の田んぼ中に杉木立に囲まれた家々が点在する風景が見えてくる。いずれも3〜4百坪もあろうかと思われる広大な敷地を持つ農家が、高速道路沿いにずっと続く。(砺波はチュリップの里としても知られている。)
これが今、私の今後に残してほしい散居村落(さんきょそんらく)だ、とても珍しく好きな風景のひとつでもある。
さらに呉羽山(くれはやま)を過ぎ、富山市に近づくと、突然前に現れるのが雄大北アルプス立山連峰の峰々、今日は冬の雲空の中にぼんやり見えたが、晴れた日には“すばらしい”の一語に尽きる。車はまっしぐらに山に突っ込むように走る。
やがて富山インターから市電が走り、薬売りで知られる、富山市へと入った。
北陸(特に富山)は暮らしやすさ、住みたい都市などのランキングで常に日本の上位に入る。意外に民度や文化度の高い地方でもある。
世界遺産五箇山だけでなく、日本の遺産として残したい埋もれた物が地方には多くある、それを再発見する事も楽しみだ。 (富山についても、都度紹介して行きたい)
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★一口メモ
散居村:各農家は密集せず、互いに100㍍内外の間隔を置き、それぞれの家の周りは三方が、主として杉(桐などもある)の巨木に囲まれている。これは防火・防風・防雪の役割をしており、原則として家の周りには自分の水田や灌漑用水、迷路のような小路が各家々をつないでいる。
諸説があるが、古代住居の伝承、古代豪族の館の形態や当時の加賀藩が政策的に造ったなどとも言われてぃる。

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★くつろぎの広場【川柳入選作より】
・宝くじ、馬鹿にしながら、根は本気、
・よく言うよ、金は天下で、回りっぱなし

★歳時記
・山の陰、山にしたがひ、冬に入る、(木附沢麦青)

☆はるか遠くにかすむ、立山連峰の雄姿(撮影:12月14日朝)

北陸自動車道から見る、北アルプス立山連峰(撮影:12月14日朝)