加賀一向一揆終焉の地、【鳥越城跡】 10

isikawanokinsan2006-12-10

早朝、たっぷり朝食をいただき、お土産に夕べ美味しかった“そばの実なめこ”(260円)を買い、近くの鳥越城跡に出かける為一人、旅館を後にした。
小雨でまだ薄暗いふもとに着いた、あいにく道路工事中に付き通行禁止、そう言えばこの道はマイクロバスが上がるのが精一杯、何とか観光バスが上がれるようにしてほしい、とゆう要望が多いと聞いていた。
しょうがない、せっかくなので歩いて登ることにした。誰一人としていない、おまけに今年はの出没が多かった。はもう冬眠に入ったりろうし、まさか出くわす事もないだろう、と思いつつもすこし不安でもある。
ところどころ昔の山城(砦)の石垣が残る雑木林の中をひとり歩いた。
何とも静かだ、時々鳥の鳴く声が妙に耳に入る。
しばらく行くと大きな石碑があり、“加賀一向一揆最後の砦、鳥越城跡・・・
天正8年11月落城、と書いてあった。
織田信長が天下統一を図る為、抵抗勢力となった当時の各宗教勢力、(当時は今では考えられないくらいの大勢力・権力を有していた。)中でも本願寺浄土真宗)を徹底攻撃、ここ北陸連如聖人が広め、全国でも有数な、真宗王国最後の最後まで抗戦し一人残らず(女、子供まで付近の村まで全体)殺され、「ふもとを流れる大日川が血で真っ赤に染まった。」と言われる悲惨な歴史がこの城跡に残る。
20分位歩くとそれを伝えるが有った。“一揆敗れて山河ありと書いてあった、おそらく【戦いに敗れ全員死んでも、こののどかな美しい古里の自然は永遠に残る。】という意味だろう・・・・・
砦(とりで)跡に着いたすばらし景観で初冬の山里全体が見渡せるすばらしい!なるほど砦にはもってこいの場所、何か歴史がひしひしと伝わってくる、しばし時を忘れる。
雨に濡れ分厚く積もった落ち葉を踏みつつまた来た道を帰る。
突然ヤマドリのつがいが、足元から飛び立ち一瞬びっくり、また仲むずかしくしていたのを邪魔してしまったか、ゴメン!
下山途中、急にオシッコがしたくなり、道の端に寄ったが、(この時だけは男に生まれてよかったと思う)何故かこの地で昔亡くなった人々を想うと、申し訳ない気持ちがして出来なかった。
しょうがない、ふもとの、せせらぎ館のある道の駅(一向一揆資料館併設)までがまんする事にし、山を降りた。
今日も白山はまったく拝め(見え)なかった。

鳥越城の名は比較的新しく、すぐ近くの二曲城(ふとげじょう)などとともに“”と呼ばれていたようである。

☆雨に濡れる、鳥越城跡の石碑(撮影:12月10日朝)

☆砦につづく、悲劇を伝える山道(撮影:12月10日朝)