私のエコカーと最近のエコについて考える。

isikawanokinsan2008-08-02

今日、午前中にいつものセルフ式のガソリンスタンドへ、驚いた事にまたまた表示が変わっている。
何とレギュラー187円の表示になっているはないか、会員だからこれよりは若干安くなるにしてもこれはたまらない。何時どこまで高くなるのか新聞等では200円時代とかの記事が載っている。

先だって羽田から南房総(千葉)に行った時にジャンボタクシーの運転手の人が、東京周辺も車の通行量が減り走りやすくなったと話していたが、確かにここの所北陸でも夏休みにしては高速道路の車の量は減っているのか少ない感じである。おまけに猛スピードの車もめっきり少なくなったようだ。私も思わず速度メーターについている表示をリッター当たりの距離に切り替えてみた。私の車は2000CCの中型車だが、なるほど少しアクセルを踏むととたんにリッター当たり7㎞位しか走らないが、そっと踏んでみると20㎞以上になる。今は省エネ走行で大きく変わると聞いてはいたがその通りかもしれない(今さらと笑われるかもしれないが・・・・)

洞爺湖サミットが終わり、改めて地球規模での環境問題がクローズされ、今や世界の各地で話題となってる地球温暖化、そう言えば今年2月にヨーロッパ(フランス、スイス、イタリア)に行く機会があり、あの有名なシャモニーの大氷河を滑った時、何と氷河が昔から比べ100mも融けてその跡がはっきり見られたのには正直驚いた。それだけ温暖化のスピードは早くなっていると言える。
私が現在住んデいる所のすぐ近くにそびえる霊峰白山の万年雪もかなり少なくなり、やがて無くなるのも時間の問題と地元でも言われている。

『現在行われている一般的な温暖化や環境対策はまったく効果ない』などと書かれている本も読んだが、それではどうすれば良いのかがもう一つはっきり書かれてない。確かに専門家から見れば効果がない事かも知れないが、地球に住む人々が地球環境に関心を持つこと自体は決して無意味ではないと思う。


人類の誕生が6千万年前とも言われてているが、歴史的に見ても、ここわずか100〜200年間の科学の進歩は考えられないくらいでそのスピードは速く、特にエネルギー資源として石油の利用アメリカから中心に始まり、二次商品が開発され、そして電気や通信の出現で世の中が大きく変ってしまった。自分の小さい頃と今、比べてみるとまさに驚くしかない進歩である。
考えてみれば明治初期にやっとガス灯の明かりが街に出現したのである。それが今は携帯電話で世界の人といつでも話やメール・情報入手が簡単に出来る便利な時代でもある。現代社会は石油全盛時代とも言われる。明治以後の世界で行われた戦争の大半は宗教的な事を別にすれば、全てエネルギーの奪い合いが何らか絡んでいると思われる。


ところで私のエコカーそれは自転車である。5月過ぎから利用しない日は無いぐらいである。
ガソリンゼロ、おまけに健康が得られるし地球環境にはこれ以上のものはなく、まさに“一石三鳥”の乗り物である。この夏の暑いときでも?と言われるかもしれないが、実際に走ると風を切るから扇風機をかけているようなもの、このところ軽四自動車と共に自転車よく売れていると聞く、しかも多段変速付の十万円近くもする高級車が売れると知人からも聞いた。スピードも辞時速50キロ位は出るものもあるらしい。排気ガスもださずや地球環境に優しい乗り物である。
但し、こう暑いとこの乗り物、走り終わると時々アルコール燃料(ビール等)を欲しがる時もある。この程度の事は目をつぶって欲しい。


最近はメタボなど飽食の時代で増えて来ているから、運動不足解消にはうってつけだと思う。女性の人でひたすら痩せるため食事を制限し努力している人が多いと聞くが、確かに皮下脂肪は食事制限である程度減らせるが、肝心の内臓脂肪はあまり減らず、これを減らすには毎日適度な運動をするしかないらしい。
これからは老人が街にあふれる社会、今までの社会のように年寄りだからと言って、他人に出来るだけ頼る事など考えず、“自分の身は自分で守る”その為には何をすれば良いか私も考えて行きたい。それに世の中のスピードももう少しゆっくりでも良いように思うし、この際生活を見直してみても良い様にも思う。何しろ物質的に豊かな国イコール幸せな国では無い結果が出ていた。 【世界の経済大国日本は幸福度は46位・・・】

白山麓の自然と金沢の伝統文化の息づかいを感じた日

金沢能楽美術館

付近の山に朝雲がまだらにかかりその合間からようやく太陽が昇り始めた早朝、友人とすぐ近くの獅子吼高原の山(標高約700m)へ健康づくりの為トレッキングに出かけた。とにかく自然がすぐ近くにあるのは何と言っても有り難い、田舎ならではである。
特に石川県は細長く片方は山、それも西日本で一番高い山“霊峰白山”(標高2702m)があり、そして日本海も近い、大都会と比べれば多少の不便さがあるが、自然には恵まれた良い所である。


今日はここから約2時間ぐらい(最短コースは約1時時間)ノルデックウォーキング用のポールを使い樹木公園から頂上(後高山)へ通常はゴンドラでわずか数分で行ける。このスカイ獅子吼から見る景色は抜群手取川扇状地が眼下に見渡せ加賀平野から金沢が一望できる。空にはカラフルなパラグライダー優雅に舞っている。日本海からの涼しい風を感じるここは日本でも有数なハングライダーの基地でもある。本当に時間がゆったり流れる。


午前中の健康づくりを終え、一汗かいた身体を家でシャワーで流し昼食
午後からはチョツトした用事で金沢の中心街に出た。金沢はさすが観光都市だから街はとても綺麗である。グリーンのジャンパーを着たボランティアと思しき街の中のゴミなど拾う集団ともであった。
兼六園のすぐ近くに目指す金沢能楽美術館がある。


私も何度も前を通った事はあるがこの建物の中に入るのは初めてである。ちなみにJR金沢駅前には新しい県立能楽堂があるし、金沢周辺には能舞台を持つところも数箇所ある。又今でも金沢の路地裏などを歩くと“謡い”や“鼓”などを耳にする事もある。加賀百万石と言われた優雅さを感じる時でもある。


“能”のじれったいほどゆっくりと舞うさまはまさに“静”おそらく現代とは百八十度違う世界である。私もほんのわずか見たことがある。まったく何を舞っているか判らないがそれでも何時しか時間がたっていた事を思い出した。
会館は入るとさほど大きくはないがゆったりとし、静かに能楽の音が流れ何とも心が落ち着く。


今日は能楽の題材である軍記物語の歴史・文化の解説のセミナーがあり、平家物語に登場する女性達の姿を講師の方から一人一人の生き様を解説してもらった。なるほど人の人生は分からないもので、まさに人生無常である。誰にも分からないのである。

セミナーが終わった後、能楽の衣装などや、台本などの展示をゆっくり展示室で見たが美術を分からない私が見ても本当に豪華で優雅さが伝わる能面もじっと見つめていると生きているような錯覚を覚えた。
人はまばらあるが外国人もいる。ビデオを見ながら日本人の私も理解できないのに言葉の分かるのかな?とも思った。

能楽美術館を出るとすぐ横には人気の21世紀美術館がある。大勢の人が円形でガラス張りにこの建物に出入りしている姿が目に入る。古典と現代美術が同居し、周辺には目的別に多くの博物館や美術館がある芸術や文化を知るには大変便利なところでもある。

昔、加賀藩は国内で最も大きな百万石を誇る外様大名として幕府から常に監視されつづけ三百年、その間ひたすら文化や芸能・工芸を奨励しこれが今日に引き継がれ文化都市金沢をイメージつける。自然と同様後世に引き継ぐべき遺産でもあると感じた。

兼六園も日本三庭園(名園)のすばらしい庭であるが、金沢は兼六園だけではないのである。ゆっくりと時が流れる街でもある。


 
☆獅子吼高原から日本海を見る風景
 
金沢21世紀美術館

元気です!白山麓の自然の中で楽しく健康づくり

isikawanokinsan2008-07-23

石川の金さんは元気でやってます。
本当に心配してくれた人がいたなんて意外でした。
以前のように小まめに書けないかも知れませんが、これからは出来るだけ何でも思いつくまま書いていきます。またよろしくお願いします。

まずは金さんの最近の生活を少しだけ紹介します。
目覚めは朝5時少し前、これは多からず年のせいかも知れませんがもともとは朝方です。

すぐに家の近くを老犬と散歩、何しろ我が家の犬はやがて100歳近く、目、耳おまけに鼻も殆ど役に立たず歩くのもやっと、転ぶと自分で起きあがれずそれににオシッコが近くなり介護が必要、まるで自分の老後の姿を見ているようで最近は哀れになってきます。
とにかく家の近くの田んぼのあぜ道をゆっくりゆっくりと散歩です。これが何時もの日課の始まりです。

梅雨もあけ、山の彼方から太陽が登り始めると、最近は霊峰白山を遠く眺めながら愛用の中古自転車(18段変速)で約20分位かなり稲が成長し青々した田んぼ道を走り、近くの大きな公園(松任グリーンパーク)に行き、芝生におおわれた小高い丘に向かって、二本のストックを使い登ったり下ったりで約40分一汗かいたところでラジオ体操の時間、朝の田舎のおいしい空気を胸いっぱい吸って体操、終わって又自転車で家へ、庭を掃いたあと庭木に水をまき、軽くシャワーを済ませて新聞に目を通し7時半頃朝食のパンを食べ朝の日課は終わり。

朝早く散歩する人の多いこと、これからは老人と言えども自分の健康は自分で守るしかない時代だし、私も以前仕事のし過ぎ?で体を壊したこともあり、今は自分の健康を第一に、地元の中高年の健康づくりに少しでも役立てたらと健康クラブを結成、その世話もする事になり、たいていの土日はアウトドアスポーツを楽しんだり、地元の歴史文化を尋ねながら自然豊かな霊峰白山のふもとの里山や森の散策で過ごす事が多くなっている。

ところで散歩(ウォーキング)で今急速に人気が出て来た事、それはこのポールを使って歩く『ノルディックウォーキング』がある。
もともと冬のノルディックスキー選手の夏場のトレーニングであったが、今や北欧で大人気で、日本でも数年前から北海道などを中心に、誰でもがどこでも気軽に健康づくりが出来ると言うことで人気が出だしたようで、私もつい最近ポール買って実践している。



気の合った仲間達で、“ふるさとの自然の中で楽しく健康づくり”これが今私の取り組んでいるテーマである。

還暦を過ぎいつも思うこと、それは健康とは体と心そして歳を行けばこれに頭(脳)が加わり、人間誰しもが共通に究極に願い望む事それは健康である。



ノルディックウオーキングの紹介HP・・・http://www.nfw.jp/what/index.html



※早朝の健康づくりマイフィールド

2008年金さん親父のブログの再開

isikawanokinsan2008-01-01

明けましておめでとうございます
今年一年の皆様のご健康とご健勝心よりお祈りいたします。


北陸の年明けは冬の雷と小雪が時々舞う荒れた天気で迎える事となりました。珍しい事ではなくむしろ元日が晴れる事の方が珍しいことの方が多く、我が家からももちろん霊峰白山は厚い雲覆われてまったく見えません。


ところで昨年春にNPO法人の地元観光ボランティア団体の事務局長に思いがけず就任することになり、それとアルバイトと趣味三昧とが重なりそれまで続けていたブログも書ける時間がなくご無沙汰していました。何度も知人や友人から『お前何かあったのか?』などと消息を尋ねるメールや電話を頂き心配をかけました。何かとバタバタして無理でした。


今日は2008年の元旦、やはりお正月は一年の気持ちの中でも区切りとなる日本人には大切な日であり日本の伝統的な文化を感じる日でもあると最近時々思うようになってきた。    やはり私も歳のせいか・・・・・


今日は家内と二人で近くの神社参りのついでに近くの大手スーパーに行った。どの店も初売りで福袋がずらりで人が群がり店員さんも稼ぎ時とばかりに呼び込みクリスマスから大晦日そしてお正月とまさに“商売天国日本”を象徴する光景を目にした、特別な職業以外の人はせめてお正月一日だけでも店員(社員)さんをゆっくり家族と休ませてあげては?・・・・・


『何もそこまでお金儲けに走らなくても』 社長(経営者)さん、それとも日本文化の破壊者として後世に名を残すつもり? 海外に行くといつも思う事、それは確かに日本は物に恵まれているが毎日あくせくした生活の中で心の余裕すらないそれで幸せなの?・・周りばかり気にして自分を持ってない日本人、皆んながいつの間にか大手企業の商業ペースに乗せられてないの? 物ではなく貧しくとも本当の心の豊かさを持つことがこれからはステータスじゃないかな・・・・
一層のこと法律で規制し『1月1日は日本や文化や地球について考える国民総休日』にでもし営業休日にしたら・・・少しはヨーロッパの文化をマネて見ては?(お酒の少し入ったボケオヤジからの提案)


昨年ブラジルに行く機会があり現地に住む住む日本人や日系の人たちから聞かれて言葉に詰まった事をつい思い出した。『どうして日本人はお金がたっぷりあるのにあくせくするの、人の命は限りあるよもっと人生楽しまなくちなくちゃ“心貧乏”だね・・』


“一年の計は元旦にあり”“笑う門には福が来る” 今年は日本中が笑いの多い年でありますよう祈りつつ、私も今日から以前のように毎日は無理としても出来る限り楽しく気楽にふるさとを紹介するブログは続けて行きます。 よろしく
  

【参考】
・お正月の歴史を知るHP
http://www.01.246.ne.jp/~reki127/index.rekitan-ny.html
・石川県立歴史博物館お正月イベント
http://www.pref.ishikawa.jp/muse/rekihaku/

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★くつろぎの広場
・また来るよ大きな顔してお正月       (ぼけせん川柳入選作より)


★歳時記
・目出度さもちう位なりおらが春           (一茶)
・元日や山明けかかる雪の中          (室生犀星


★今日は何の日
【世界】 太陽暦実施(1873年 明治6年) 
【日本】 天皇人間宣言(1946年 昭和21年)

 

家族(一族)にまつわる今と昔を考える 124

今日は朝から雲が低くたちこめどんよりとした天気で、霊峰白山は到底拝める天気ではなく午後には雨となった。

今日は能登半島の入り口に近い実家で一昨年亡くなった父と昨年後を追うように他界した母親の法事がいとなわれ、久しぶりに親族が大勢集まった。しかし昨年まで出席したいた叔父もつい最近他界し、少しずつ歯の抜けるように人数が減っていく、座敷に飾られた遺影だけがいつしか増えて行く。


親族・家族における考え方も最近変わった来たように思う、その事について今日は少し考えてみたい。


※この続きは又書きます。

自然の恵み、白山麓は温泉の宝庫 124

isikawanokinsan2007-04-21

朝から風が強く、何だかすっきりしない天気が続いた一日であった。こんな日はざぶっと温泉でもつかり週末の疲れを取りたいものである。


ところで石川県は温泉の宝庫と言われている。よく知られているところでは山代・山中・片山津・粟津の加賀温泉や白峰・岩間(一里野)・中宮・吉野谷(瀬波)などの山麓の温泉それに金沢市の医王山系の湯湧・浅野川温泉それに能登では和倉温泉はじめとした能登の温泉それ以外でも数多くの温泉がある。


この温泉の殆どは白山火山帯に属し、古くから湯治場としても利用されている。白山は『水の神』としてあがめられているが『温泉の神』とも言えるのである。それぞれの温泉には多くの伝承があるが、その多くは偉いお坊さん(弘法太師)や修行僧(白山開山の祖と呼ばれる泰澄)にまつわるもの多いが、自然界の鳥(鶴や白サギ)などの伝説も多いのである。


五月のゴールデンウイークが近いが、もし温泉に行く機会があれば温泉でゆっくりくつろぎおいしい地元の料理などを食べた後、地元の年輩の人などに温泉にまつわる話などゆっくり聞くのもお勧めしたい。出来れば近くに郷土資料館など見て回るのも良いと思う。温泉の楽しみ方は単に日頃のストレス解消で羽目外すのもいいが、これからはゆっくり日本の文化に触れる機会を持ついい機会であるとも思う。


昨年秋、白山のふもとの川原に自然に昔から噴出している『岩間の噴泉塔』を見てきたが山深い中をしばらく歩いてたどりついた川原に今も噴出している(やや少なくなっていたが)噴泉塔を見ると改めて生きている自然を身近に感じた想い出がよみがった。


まだまだ知られざる日本各地には穴場的温泉は多い、それを尋ね歩く旅も良いと思う。私も思いがけない事で今は少し忙しくなったが機会を見つけ又ぶらりひとり旅に出てみたいと思っている。


★石川の観光情報のHP http://homepage2.nifty.com/toburyoko/index.html 
★白山の恵みのHP   http://hakusan-no-megumi.jp/


※MYグログ 119(3月29日)に春の兼六園の風景写真登載しました
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★くつろぎの広場
・人生は、布オムツから、紙オムツ
酢豆腐と、親父が呼んでる、ヨーグルト
・うば捨てる、山がなくなり、介護法
        
                 (ぼけせん川柳より抜粋)

★歳時記
・春の鳥、あけぼの楠(くす)を、はなりたり    (幸田 露伴



★霊峰白山の雪解け水が流れる春の手取川

昔から言われる予兆や迷信について  123

isikawanokinsan2007-04-20

今日は比較的穏やかなうす曇の春の一日であった。霊峰白山も雲の間からいつもどうりの真っ白な姿で見える。最近私の家の周りの農家の人たちが田んぼを耕したせいか鳥達が虫でも探しているのかいろいろ見ることが出来る。


今日も出かけてすぐにカラスが田んぼに群れているのが目に付いた。カラスはどうも昔から人間には好かれてなく、むしろ不吉な鳥と呼ばれる事すらある。これは体全体が真っ黒で弔事(死)の時などを連想させ、おまけにその泣き声が何とも哀れであったり、苦しそうに感じる事があるからかも知れない。しかしその頭脳は鳥としては極めていいらしい。


私も昨年、自分の家庭菜園でやっと実ったトウモロコシすべてを食べられた事がある。それもぼちぼち収穫しようかと思った次の日であった。どれだけ頭にきた事か、だから私もカラスは憎いので時々小石を投げつける事がある。大抵は歳のせいか届かず 『カアーカアー』と鳴くだけで時には『アホアホ』と聞こえることさえある。
中にはまったく無視するやつさえいる。まるで馬鹿にされているようだ。


ところで我々昔からの生活の中で予感とか予兆とかと言う言葉を使うことがある。いわゆる前知らせや何だか判らないが何かを感じる事を言う。しかしその力は人間以上に動物や鳥などの方が敏感とも言われる。最近能登(石川)や亀山(三重)に地震が相次いだが、多くの学専門家や学者の方々が研究しているがなかなか予知が難しいらしい。


最近ある有名大学の研究所で自然界の生物達の予知能力を改めて研究しようとゆう試みが始まったと報道で耳にしたことがある。面白い試みであると思うし昔の人たちはかなりの部分そうした事で生活していたようでもある。その中には科学の発達した今から考えとばかげた事もあるが当時の人々は真剣だったのである。中には結構うなずける事も多いのである。


『靴(下駄)のひもが切れると不吉な事がある』『カラスの鳴き方で人が死ぬ』『夜爪を切ると親の不幸に・・・』『猫が顔を洗うと翌日は雨になる』『茶柱が立つとお客がくる』『朝蜘蛛は良いことがあるが夜の蜘蛛はよくない』『夜口笛を吹いてはならない』『北枕で寝てはいけない』『庭にいる蛇は殺してはならない』さらには『庭に梨を植えるな、財産なしになる』・・・・・
多分いくつかは聞いた事があると思う。


数え上げれば限がないくらいで、私も親からもよく聞かされた事が多い、なぜこのような予兆や戒めともとれる言い伝えが生まれたのか?全国にはおそらく多くのこのような言い伝えがあると思うし、私の住む山麓にもいろいろあると思うそれぞれにもっと掘り下げて研究してみるのもとても面白いとも思う


我々人間は意識、無意識にかかわらず誰でもどこかで不安を持って暮らしているものと思う。だからバカバカしいとは思いながらも昔からの言い伝えはどことなく日々の暮らしの中で結びつけ意識しているもので、私もそれらは迷信だから関係ないとは思うがあえて逆らおうとも思わない。

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★くつろぎの広場
・百人の、村に派閥が、いくつある
・合併の、横文字バンク、判りかね
クロネコが、赤いポストに、寄り付かず
                  (ぼけせん川柳より抜粋)

★歳時記
・我が旅も、いく夜か寝ねつ、春の夢    (蝶 無)



☆白山麓の春の装いと躍動


★散歩路に咲く春の草花


★用水の咲くスイセン